発達共助連の「連」とは、皆さんご存じのあの徳島・阿波踊りの「連」に由来しています。「連」は、広辞苑によれば、「つれ・仲間」とありますが、阿波踊りの「連」は広辞苑の解釈よりも、ずっと融通無碍(ゆうずうむげ)な集団です。
日頃の社会生活では、職業、年齢、性別、個人的能力といったものが必ずといってよいほどつきまとうことは、ご承知の通りです。
しかし、阿波踊りの「連」はそうしたものに一切関係なく、一度同じ連に入れば大人も子供も皆同じ仲間。身分に上下も貴賎もなく、ただ阿波踊りを同じ仲間として踊るという共通の目標のために集まった、極めて柔軟な構造をもった集団です。そして、阿波踊りが終わればまた、それぞれの社会生活の場に戻っていきます。しかし、また何かがあれば、同じ「連」仲間として結束します。
したがって、阿波踊りの「連」にとって最も重要なものは、メンバーの個人個人が 一度参加を決めた以上は、さまざまに創意工夫をこらし、自主的にそして積極的「連」に関わっていくという極めて簡単な約束事です。
発達共助連の「連」は、この阿波踊りの「連」に由来しているわけですから、<援助する側・される側>と言った固定的な構造を持たない柔らかい構造の<共助>の集団で、皆が同じ土俵の上で活動するということが何よりも貴重であると考える人達の集まりなのです。
発達共助連は、一人一人が今出来ることに自主的かつ積極的に参加することが最も大切であると考えています。発達共助連の「連」は、単なる“集まり”や“グループ”ないしは“特定の集い”を意味する「会」という名称でないという所以(ゆえん)はここにあります。
情報化社会が急速に進む近年は、形式的なコミュニケーション手段の目覚ましい進展に反比例するように、人間関係が希薄となってきており、同時に学校や家庭あるいは社会全般に対するさまざまな形での<子どもの心身の不適応>が大きな問題となっています。
社会に対し異議を発しているそうした子供達が、本来持っている「生き物としての力」を取り戻すためには、病院のカウンセリング現場と、家庭、学校の連携がまず何よりも重要ですが、同時に、子供も親もそしてそれを取りまく人たちも、それぞれの立場に応じて、成長していく必要があります。
そのためには、多くの人々が一緒になって考え、病院のカウンセリング現場と連携してバックアップのために行動する自由な地域集団が必要と考えます。そのどれか一つが欠けても、子供達への有効なケアは、成り立ちにくいと考えられるからです。
発達共助連は、そうした自由で空間的広がりを共有する地域集団の一つとして、<子どもの心身の不適応>に対する周囲の理解の欠如などに直面したことをきっかけとして集まった親や子供たちと学生、カウンセラー、医師、教師その他さまざまな人々が、お互いが自らのプライバシーを離れ、共に助け合い、協力・研鑽しあう中で、参加する個人個人も同時に成長するために、活動していくことを目的としています。
発達共助連は、新たなチャレンジでもあります。従って多くの障害がありますが、それを皆で乗り越えて、より新しいものにぬりかえていくのも発達共助連の原則です。
発達共助連」は、<援助する側・される側>といった固定的な構造をもたない、柔らかい構造の<共助>の集団で、皆が同じ土俵の上で活動するということが何よりも貴重であると考えています。一人一人が今出来ることに自主的かつ積極的に参加することが、最も大切であると考えます。現在進行中の課題をを抱えているご家庭では、役回りを引き受けることではなく、連のさまざまな行事そのものに参加できるようにそれぞれが努力することが共助なのです。
かのアメリカ大統領ジョン・F・ケネディ流に言えば、こうなります。
「発達共助連があなたに何を為しうるかを問いたもうな。あなたがあなたのために共助連に何を為しうるかを考えよ」