発達共助連の定期的活動の2本柱がデイキャンプとこの月例会(学習会)です。
<子供たちの心身の不適応>に関して、様々な角度から勉強し意見を交換します。セラピスト、カウンセラー、学生を中心とするディベロップメンタル・サポーターに実際に課題に直面している家族も加わり、それぞれの立場から発言します。
毎月1回原則として第二金曜日ないし第四金曜日の夜、それぞれの専門家ないし体験者を招いて、開催しています。
勉強会の後には、懇親会を持ち連員相互の話し合いの場を持っています。(4月は総会、8月はサマーキャンプ、12月は忘年会で代替)
過去4年ほどの月例会に関するレポートです。毎月毎に内容及び参加の感想を記しています。月例会の雰囲気、中身がお分かりいただけると思います。ご覧になりたい月をクリックして下さい。
 

テーマ

 

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02・07月例会

発達がちょっと気になる子どもの理解のために・2

02・06月例会

発達がちょっと気になる子どもの理解のために・1

02・05月例会

私がアメリカ留学から得たもの

02・03月例会

私の子育て奮闘記

02・02月例会

大蔵たろう物語―チーム医療・共助連を問う―
02・1月例会 スクールカウンセリングの現場から

01・11月例会

思春期、青年期の心と体の発達とその対応

01・10月例会

LD児への読み書き指導事例

01・09月例会

発達障害をもつ人の普通の生活をめざして

01・07月例会

小さな学校の大きな冒険〜宮澤学園高等部湘南校の実践〜 

01・06月例会

自閉症の療育

01・05月例会

38年間の教員生活を終えて、今語るべき事 01・03月例会 長男と歩んだ10数年の総括
01・02月例会
通級指導学級での取り組み
01・01月例会
透明な存在〉への道(2)−〈神戸「酒鬼薔薇」事件後の子供を見る眼−
00・11月例会 透明な存在〉への道(1)「子どもと大人-今の時点で関係を捉え直す」 00・10月例会 「共助連草創期のDSとして今語りたいこと」

00・9月例会

「不登校の我が子と歩んだ4年間-父親の立場から」

00・7月例会

「どの子も善くなろうとしている」

00・6月例会

「我が子の社会人としての出発に感謝」

00・5月例会

「T.M.君との2年間」

00・3月例会

「親は脇役、子供が主役」

00・2月例会

「マカトンサインとシンボルの効用」

00・1月例会

「人間の交流(コミュニケーション)における快」  99・11月例会 「親子関係のロールプレイ」
99・10月例会    「発達共助連フリートーク」

99・9月例会

「教育現場での常駐カウンセラの立場と役割}

99・7月例会

「小児科心理外来で見たこと、感じたこと、考えたこと

99・6月例会

「不登校─自分の場合」

99・5月例会

「ある子供との1年間の記録」

99・3月例会

「通級指導学級の現場から」

99・2月例会

「四中スペシャル」

99・1月例会

「親子関係のロールプレイ」

98・11月例会

「親子関係のロールプレイ」

98・10月例会

「思春期とともに」

98・9月例会

「鏡映描写」

98・7月例会

「こころをひらく」

98・6月例会

「不登校ー僕の場合」

98・5月例会

「学校と子供達の関係」

◆2002年7月例会

日時:7月27日(土) PM 2:00〜6:00
場所:杉並区産業商工会館

テーマ:「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・2-前庭覚」

講師:木村 順さん(うめだあけぼの学園作業療法士、淑徳大学・上智大学社会福祉専門学校講師)

<内容>6月例会に続いて木村さんの話を伺いました。今回は、前庭覚(体が受ける重力や移動、回転などを感じるバランス感覚)をメーンに、力のこもったお話を伺い、連員一同大いに学びました。

<7月例会に出席して-聴講報告>

一回目の講演の時はなかなかわかりづらく?????という思いで帰ったが、2回目の講演では具体的な話をどんどん進めてくれたのでわかりやすかった。
私は養護学校で教員をしているので、聞きながら、○○くんにもあてはまる、○さんにもこの実践をやってみたいといろいろ思いを巡らせていました。
しかし、実際問題ブランコ一つにしてもどこに取り付けるかなど設備的にもすぐに揃えられるわけではないので、そこが難しいところです。これから自分でももっと勉強して実践に役立てていきたいと思います。
(養護学校教諭/三澤 吾郎・記)

◆2002年6月例会

日時:6月21日(金) PM 7:00〜9:00
場所:杉並区産業商工会館

テーマ:「発達がちょっと気になる子どもの理解のために・1-固有覚と触覚」

講師:木村 順さん(うめだあけぼの学園作業療法士、淑徳大学・上智大学社会福祉専門学校講師)

<内容>講師の事前レターから
発達に多少のつまずきを抱えている子ども達は、本人の怠けや親の育て方のせいではありません。脳の中の入ってくる様々な感覚情報を交通整理していく脳の機能に起因しており、感覚統合を理解するための「固有覚」「触覚」について学びます。

<6月例会に出席して-聴講報告>

6月21日に開催されました6月月例会「発達が気になる子供の理解のために」を聴講させていただきました。
五感のような表在した感覚以外に
1.固有覚(筋紡錘、腱紡錘(筋肉や腱のなかにセンサーが取り付けられていて、筋肉などが伸びているのか縮んでいるのか姿勢の様子を検出する器官)から伝わる信号。)、
2.触覚(触った感じが識別系と呼ばれ、本能に基づく原始系(敵から逃げる、戦う、獲物を捕まえる時に使っている感覚)があり、原始系を識別系で抑制することによりバランスを保っているそうです。)、
3.前庭覚(次回説明があるはずです。)
があることを学びました。
1.固有覚について朧げながら理解したことは、「神経の信号の伝達がうまく行われていない。信号が伝わる閾値が高くなっているが、強い信号を入力してあげれば、ある一定時間は閾値を下げることができるので姿勢や運動の制御が可能となる。」いうことでした。
これは、ビデオで紹介された、感覚統合機能障害(ADHD、LD、アスペルガー等に現れている症状を神経生理学的に説明した名称。)のお子さんを横揺れする宙吊りの円筒マットに乗せて、非常に大きな振幅を加えるときちんとしがみついて落ちないけれども、少し揺すると簡単に落ちてしまうということの説明です。
少しの揺れでは重心のずれを検出できないのでバランスを崩すところが、大きく揺らすと信号が伝わって落ちないようにしがみつくという動作につなげることができていました。
さらに、そのマット乗りの前後でフィールドアスレチックに用いるようなネットの伝わり歩きをさせたところ、マット乗りの後では比較的上手にこなすことが出来ていました。つまりある程度は信号が伝わりやすくなって、かつ、伝わりやすさが持続するということです。
今回のお話では残念ながら効果は数時間というお話でした。Hyperactivityのお子さんは信号伝達が途絶えると、自分で走り回ったりして信号を入力することにより姿勢を保つなど運動機能の維持することを試みていることが、多動として現れているそうです。そうしないとじっと座って体を支えることも困難になってしまうので。そこで、学校に行く前に公園でブランコに乗せてブンブン振り回してあげれば午前中程度ならば走り回らなくても、じっと座って体を支えることが出来るというお話でした。
こういうお話を伺うと、「じっとしていなさい。」などとは口が裂けてもいえないですね。玲にも、ソファーの上で体をブンブン振り回したあとで、自転車の練習をさせたところ、バランスを取れる時間が増えたような増えないような。ブンブン振り回されることについては、「怖い、楽しいからもっとやって。」と喜んでおりました。自転車の練習では、バランスを崩して転んで痛いと怒っておりました。
2.触覚については、髪を切るのを嫌がる理由についてのお話がありました。
上述したように、原始系を識別系で抑制することがうまくいっていない障害であり、髪を切るために接触されたことを、敵からの攻撃と本能判断して嫌がるという態度に現れているそうです。
お母さんが子供に触ろうとして避けられたからといって、嫌われているわけではなく、本能の働きであるという認識をもつと、そういう場面でのショックも少しは低減されるのではないでしょうか。残念ながら障害の存在についての懸念は拭い去ることは出来ませんが。子供のほうからは触れてくる場合には回避行動は出てきませんので、「自分勝手な」行動をとっているわけではないそうです。それから、柔らかいものが苦手というところも信号の伝達がうまくいっていないことを現しているようです。
(家族連員/保田宏一・記)

◆2002年5月例会

日時:5月31日(金) PM 7:00〜9:00
場所:杉並区阿佐ヶ谷区民センター

テーマ:「私がアメリカ留学から得たもの」

講師:長谷川 菜菜さん(家族連員の子弟)

<内容>講師の事前レターから
去年の6月、アメリカから帰ってもう1年近くになる。受験、アルバイト、大学に入学してと忙しい毎日で、すっかり留学の印象も薄れてしまった。留学中つけていた日記を読み返してみたら、まるで他人のすごした1年間を見たような気さえした。帰国してからあまりに簡単に馴染みすぎて、留学から何か得たのか、どんな影響を受けたのか、どうも自分が変わったという実感がわかない。ここでもう一度、私にとって大きな意味を持っていたはずの1年間について、思い出す機会を得られて嬉しく思う。(長谷川菜菜:記)
(注・長谷川菜菜さんは、小学校時代、不登校で苦しんでいましたが、今年、現役で東京外国語大学に入学されました)

<5月例会に出席して・1>

子どもと同じ学校の先輩、そして共助連の先輩でもある長谷川菜菜さんのお話を伺えるのを楽しみにして例会に行きました。
お話しを聞きながら感じたのは、菜々さんが自分の考えをきちんと持っていて自分自身を大切にしている方だなということです。小学校時代のことも淡々とお話される姿に、この数年間の中で得るものが多かったのでは?と勝手に思っていました。特に親元を離れての留学は、寂しさなども併せ持ちながら彼女にとって大きなステップ・アップにつながったことでしょう。目標だった留学ができてハッピーという人とのスタンスの違いを感じました。とても自然体で、ステイ先での経験もあるがままにうけとめてらした様子でした。
それにつけても、ステキなご両親をもたれて幸せなお嬢さん!菜々さんを見守るお二人の愛情がそのまま彼女の成長をサポートしてこられたのでしょう。このあたりは私にとって一番に見習うべきことです。我が家の子ども達が、留学できるかどうかはわからないけれど、一度しかない人生で自分を外から見つめなおすチャンスは手に入れてほしいなと思っています。また機会がありましたらお話きかせて下さい。
(馬場敬子・記)

<5月例会に出席して・2>

このところ、共助連の活動からちょっと離れておりました私ですが、5月月例会で長谷川菜菜ちゃんが話をしてくださると知り、何が何でもと、張り切って参加しました。
会場につくと菜菜ちゃんは、いつもの通りにこやかに「何も考えてきてないんです。」と落ち着いた様子。大丈夫かしらとほんの少し心配になりましたが、全く無用な心配でした。菜菜ちゃんは、アメリカでの留学生活を、よどみなく、ときに笑いを取る余裕も見せながら話してくれました。留学の1年間を、反省点を含め冷静に振り返り、自分が何を得て、どういう影響を受けたかを語る菜菜ちゃん。実に大人に見えました。彼女との密な付き合いはほんの短い間であった私なのですが、心から誇らしく感じました。
菜菜ちゃんの話の後、当日同席されていたご両親が、小学生時代菜菜ちゃんが不登校状態であったときの話をされました。そのときのご心配、対応などを、率直に語られたのですが、中でも印象的だったのは、ご両親それぞれが、菜菜ちゃんの違った面を見ながら支えてこられたということでした。さまざまな高い能力をもつ一方苦手なこともあった菜菜ちゃんですが、その高い能力に注目し、それを伸ばす機会を与えてこられたというお父さん。一方それとは逆に、菜菜ちゃんの苦手な部分に注目し、そこを補う方法を考えてこられたというお母さん。そして、長谷川家には、菜菜ちゃんの大変さを理解する暖かさと、その成長を信じて支えていくエネルギーもあったように私は思います。自分の弱点や、過去の失敗をも笑顔で語れる菜菜ちゃん、彼女の今の成長は、これらのうちどのサポートが欠けていてもなかったかもしれないと感じました。
大学に入学した菜菜ちゃんは、勉強に励みながら、現在人との関わり方について模索中のようでした。でも今の菜菜ちゃんなら、そのうちきっと答えが見つけられると私は思います。
菜菜ちゃん、またおいしいものでも食べに行きましょうね。
(平木こゆみ・記)

◆2002年3月例会

日時:3月29日(金)午後7時〜9時30分
場所:杉並区産業商工会館  参加者/43名

テーマ:「私の子育て奮闘記」

講師:杉谷 邦子さん(DS連員・杉谷開君のお母様)

<内容>共助連のDSとして、杉谷開さんは、子供たちがその参加・到着を文字通り首を長くして待つほど共助連の野外活動に欠かせない存在となています。26歳の彼は、、LDやアスペルガーなどの理解を得るには、ほど遠い時代を経てきました。その、杉谷開さんの母親として、苦難をのり越えてこられた体験を「子育て奮闘記」の形で伺いました。た。以下は、事前に講師が今回の内容について書かれた文章です。「昨年の秋、Kは26歳にして初めてアスペルガー症候群との診断を得た。子供時代、私がつい「健常児の親」をやってしまうとKの発達は後退し、「障害児の親」にたち返るとKとの間に豊かな世界が開け、Kは伸びていった。子供が軽い発達障害を持っていても診断がつかず、受け皿も無いそんな時代だった。発達を促す目的で私ががむしゃらにくり出したkへの働きかけ、その適不適を皆さんと共にふり返ってみたい。」
どんな話にも増して、連員にとって、大きな力を貰え、自らの方向性を見い出す鍵となった月例会でした。

<3月例会に出席して>

3月29日共助連の講演会で杉谷さんの話を伺いました。開君の成育に関して、2時間も超えるお話しをして下さったことに感謝しています。「親子でいくつもの山を乗り越えてきたんだな。お母さんはすごいバイタリティーだな。」と思いました。杉谷さんが自分の経験を踏まえて最後に話したこと、今でも強く心に残っています。「誰だって、そのひとを知ろうとしたとき、手がかりはある。つながろうとする努力さえあれば、自分が伝えたいことも必ずわかってもらえる。その人に合った分かり方を発見していけば。」
お母さんは、小学校高学年のとき、自分の仕事をやめ、開君にずっと寄り添ってきました。そのより寄り添い方がとても素敵だと思います。子ども会の仕事をすることで、他の子供の中にわが子を置いて、共に育つことを模索していたこと。また、自ら英語検定試験にチャレンジして、自分も学びながら開君に教えていたことなど、誰にでもできることではありません。とかく親は、「わが子さえよければ」だったり、親の考えを一方的に押しつけたりしがちです。きっと、お母さんの生き生きとした姿は開君にとって、この上ないプレゼントだったにちがいありません。
その中で開君は、「自分とはなにものか」ということにこだわって成長してきたのだと思います。時には勉強に集中し、ときにはケンカし、時にはひどく落ち込むというように。そして「自分が何者か」知りかけたとき、共助連の人々に出逢ったのだと思います。それはとてもラッキーなことだったと思います。何かをしたいときに、できる「場」があったからです。今、自分は社会に開かれているのだと実感しているのだと思います。その名のとおり。
「自分とは何者なのか」これは私たちにとって永遠の課題です。何かキーワードを与えられたとしても、自分ひとつの側面にすぎません。でもその一つを知ったことで得られる自信と勇気がひとまわり大きな自分を創り出していくのだろうと思います。私は飲み会の席で開君と偶然となりになり、話す事ができました。アスペルガー症候群という病名は彼をもう一つ大きな自分にするためのもう一つ大きな自分ににするためのステップ台なのかもしれないと思いました。希望をもったそして穏やかな話しぶりにそれを感じました。同じアスペルガーの人々のための共同作業所のような仕事をしたいと言ってました。私に何かできることが一つでもあれば……という思いで、さようならしました。
(一瀬清・記)

◆2002年2月例会

日時:2月23日(土曜日)PM2:20 〜 4:00
場所:杉並区高井戸地域区民センター 参加者/57名

テーマ:「大蔵太郎物語―チーム医療・共助連を問う―」

講師:伊澤正雄さん
<内容>発達共助連の生みの親・伊澤正雄さんが国立大蔵病院で心理の活動を始めて19年の月日が流れてました。当初は小児科心理外来として、「隔離室」の看板のかかった小部屋でのセラピー、院外活動の放牧会。それが成育心理外来となり、院外活動も発達共助連として成長してきました。
国立成育医療センターのスタートに伴い、発達共助連の第一幕が終わり、新生・共助連としてスタートするのを機会に、これまでの国立大蔵病院病員成育心理外来でのチーム医療と共助連活動のネットワークについて、「大蔵太郎」くんという架空の子どもを事例として、総括的な話をしていただきました。伊澤さん製作のコンピューターの画面を使ったプレゼンテーションで、初めて成育心理外来のチーム医療の素晴らしさと大変さを知った連員も多く、第2幕新生「共助連」の幕開けのために、進むべき道をみんなでさぐっていくための月例会となりました。

<2月例会に出席して>

LDの息子を抱えた我が家族が、伊澤先生と出会い、そして共助連と関わりだしたのは息子が13才のときからで、足かけ7年となる。
一冊のパンフレットを見たときから、私のお尻に火がついた。そして、伊澤先生に出会いLD児の特徴を伺った時に私の目頭が熱くなった。
この10数年間我が息子に対し、何も理解せず、世間でいう「常識」を押しつけていたのだと。彼の困難を共有するどころか、時には威圧的に、時には差別的に、また頭をたたいたりと、申し訳なかったと自責の念にかられ、涙がでた。
そして共助連を紹介され藁をもつかむ思いで(金)の月例会に参加した。
そこで出会った様々な境遇の連員・家族たち。なぜかそこに群れているのが心地よい。○○は△△をせねばならないという束縛はない。
一人一人ができる時にできる事をする=共助。障害や困難さを持った子供と直面している家族は、時に疲れ果て、つい「なぜ私たちだけ?」「自分はとても大変なんだ」「家族のことは口に出して語りたくない」などと思いがちではないだろうか。
そうするとこの会は成り立っていかない。
しかし18年という長い年月、生まれたての子供が一人前になってしまうほどの年月を共助連は歩み続けてきたということを改めて意識した時間・空間だった。
そして第一章が終わり、新たな出発への時が来たという。自前のカウンセリングルーム、事務局の設置、そこに行けば誰かが居る、様々な情報がある、参加できなかった定例会のVTRが見れる、お父さん・お母さん・子供たちの得意な分野での発表会、展示会・講習会ができる、さらにちょっとおいしいコーヒーや紅茶が飲める空間だったらいいなぁーなんて私なりの夢は膨らむ。
いつか共助連を卒業するのだろうかと思えば、子供が成長していくにつれ次々と課題は発生する。(中3の時は進路、高3の時は就職そして離職、再び求職…と)子供と程良い距離を保ちながら共助連と共に自らを成長させ、息子も大きく道をそれることなく、大勢の中であたたかく見守られ、学びながら生きていくのだろうと改めて考えたひとときでした。
(伊藤たえこ・記)

◆2002年1月例会

日時:2002年1月25日(金)午後7時〜9時。
場所:世田谷区砧図書館地下会議室
参加者:33名

テーマ:「スクールカウンセリングの現場から」

講師:小野 翠さん(世田谷区スクールカウンセラー、狛江障害者団体連絡協議会運営)

講演内容:(講師のレターより)
「皆さん、こんにちは。今、私は小学校の相談室で子供の話し相手をしたり、先生方と子供の様子について話し合ったり、また、保護者の方の育児相談を受け付けたりしています。また、発達に課題をもつお子さんについて、小学校の時期ということもあって、まだ課題を受け取りたくない保護者の方と先生の間に立って、学校で取り敢えず出来ることを話し合ったりします。他の所で成人の人とも接してみて 出来るだけ早くありのままの姿を解ってあげたいものと念じています。

<1月例会に出席して>

寒風吹き荒れる中、25日に砧図書館地下において1月の月例会がおこなわれました。講師は小野 翠先生で、アタシとしてはとても興味深いスクールカウンセリングのお話をして下さいました。
先生は講義後の質問にも快く御答えして下さって、ああ、つくづく来て良かったなぁと感じました。先生、本当にどうも有難うございました。
(DS連員/芦田哲太郎・記)

◆2001年11月例会

日時:11月24日(土)PM2:30〜PM4:30
場所:杉並産業商工会館

テーマ:「思春期、青年期の心と体の発達とその対応」

講師:畔上 理佐さん(国立大蔵病院カウンセラー、臨床心理士、発達共助連理事)

<内容>(講師のレターから)
「思春期についての話」ということで、自立に向けてこの時期をいかに過ごすかということを共に考えていける場となればと考えています。
「思春期」という時期について改めていろいろな側面から触れていくことでどんな時期であるかを大人の側、そして子どもの側の両面から考えていきたいと思います。
また、いろいろな状態像を示す時期なのでなかなか一般化できないこと、親世代と今の子ども世代との時代の違いなどに触れていきたいと思います。
体系だてた話というよりは、もう少し身近な問題として、いろいろな世代の方やいろいろな立場の方の意識の情報交換の場となれば・・・と期待しています。

<11月例会に出席して>

11月月例会「思春期の対応」は、「あなたの思春期はどんなものでしたか」「思春期にどんなイメージをもっていますか?」との問いかけから始まった。
畔上先生のそのような問いかけには、2つの意図とメ

ッセージが込められていたように思う。1つは、「思春期」に一般傾向はあるものの、実際には人様々であるという気づきを得ること。もう1つは、個別的な体験であっても、それを思い出し、振り返ることで、「思春期」にある人に向かう時に、何かのヒントになるというメッセージである。
そのような畔上先生のメッセージを受け、私自身の「思春期」を振り返ることで、この月例会の感想としたいと思う。

私の「思春期」は、どんな時期であったか。人より発達のゆっくりな私は、思春期の始まりも終わりも遅かったように思う。それは確かに、身体的に、社会的に、心理的に混乱の時期であった(社会的な混乱と心理的な混乱は今でも未解決・・)。
そして、「思春期」を通り抜けたその前と後とでは、何かが決定的に変わっている、と感じる。何が変わったのか?なぜそんなに混乱していたのか?
思春期が始まりは、「世界に疑いをもつこと」にはじまった。
“このまま子どもの世界が続くと思った、それなのに体が日に日に変化していく。大人になるんだ・・。”“今までの世界はなんてあたたかくて、安全なものであったのだろう、ずっとそこにいたい。”と同時に、“なんて箱庭のように狭くて庇護されたものだったのだろう、窮屈だ!”“私の考えだと思っていたのは周りの人の考えだったのではないか!私なんてどこにもないじゃないか!”
そのような気づきは、私を混乱させ、怒りと不安に陥った。それは、言葉ではなく、体の感覚だったため、さらに行き場が無かった。それが外に、つまり、行動となって現れると、親を議論で言い負かそうとしたかと思えば、一転して甘えてきたり。自分の世界に篭りがちになって、話さなくなったと思えば、イライラ当たってきたりする、というふうに見えただろう。
今思えば、全く思春期の典型的な状態である。しかし、本人は、自分だけの特別な体験で、孤独な戦いだと思っている。また、一時的な状態であるなんてまだ知らない。ただ不安と怒りの中にある。

しかし、幸いなことにそのような混乱は、その後、長い時間をかけて徐々に整理されていくことになる。周りに自分と同じイライラを抱える人がいるということを知る。その気になれば、自分の好きな物、好きな事、好きな人に出会えるということを知る。そうした関係と試行錯誤の中、ある日、「とりあえずの自分」がそこにあり、「親とは別の世界をつくっている」ことに気づく。その時に思春期は終わったのだと思う。
もちろん、思春期を終えた今も、「自分」も「自分の世界」は出来上がってはいないし、死ぬまで試行錯誤し続けるのだと思う。しかし、今はそれを楽しみに思うことが出来る。
もう一度、思春期に戻りたいかと聞かれれば、「死んでも嫌」と答えるだろう。でも、私にとって絶対に必要な時期であった、ということは言い切れる。
(DS連員/田幡陽子・記)

◆2001年10月例会

日時:10月27日(土)PM7:00〜9:00ごろ
場所:阿佐ヶ谷区民センター  参加者:24名

テーマ:「LD児への読み書き指導事例」

講師:奥村朋江さん(発達共助連理事・カウンセラ、国立大蔵病院成育心理外来カウンセラ)
<内容>(講師のレターから)
LDのもつ学力のつまずきの領域のひとつに「読み書き」があります。認知的なアンバランスを抱えるLDの場合、従来のやり方である「何度の書かせる」「何度も読ませる」といった教育方法では効果は上がらず、逆に苦手意識を強めてしまう結果となりがちです。では「どう教えるのか」「どんな教材を使うのか」「何を目標に指導を進めていくのか」…。
今回の月例会では私が担当する現在小5の男児に対して過去3年半行ってきた指導経過を報告し、これらの問題への考え方について、具体的に触れたいと思います。


<10月例会に出席して>

月末の夜は、主人がいないことも多く、“今回も行けないかしら”と思っていたのですが、なんとか息子を預けることができて、参加させていただきました。奥村先生には息子が5才の時からご指導いただいており、今回のお話しも興味深くお聞きしました。
LD児の持つ障害の中でも、「読み書き障害」について、実際の事例を交え、詳しく、具体的にお話しされ、大変わかりやすかったです。私もそうした子供の母でありながら、こういったお話を聞きますと、子供の持つ犠牲をきちんと理解する、ということに関しては、本当にまだまだ至らない、と痛感しています。
親は、こと自分の子供のことになると、“もっとできるはず”期待をかけすぎてしまったり、“なぜできないの” と悲しくなってしまったり・・・。やはり、専門の知識をもつ第三者の方に客観的に、見ていただくことの大切さを感じました。適切なサポートを必要としている子供たちはまだまだたくさんいて、一人一人、伸びていく可能性を十分持っているんですよね。大蔵病院に通うことのできた私たちは、本当に幸せです。これから、どうなっていくのか、少し不安ですが、今までお世話になりっぱなしでしたので、なんとか、自分ごととして積極的にに考えていかなくては、と思うのですが……。
もうひとつ、先生が“親があまり関わりすぎないこと”を挙げてらしたのが、心に残りました。私事で恐縮ですが、私は仕事をしているので、その分、息子に関われないのがとても負い目になっていたのですが、先日、学校公開があり、先生の対応が不十分だったので、私が出しゃばったところ、息子が怒って、「学校のことは僕に任せて!」と言いました。“ああ、今は親の出る幕ではないんだ”と思い、まだまだ心配ではありますが、息子は息子なりに自分は何とかしようとしているのだ、ということがわかって、うれしくなりました。それでは、親はどのように関わっていったらいいのか……。
親の課題は山積みです
奥村先生のお人柄、そしてご指導の的確さ、を改めて感じました。子供はもちろんのこと、親の気持ちにも寄り添ってくださり、また、子供達のために大きな流れを作ろうと活動してくださっていることも、本当にありがたく思いました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(記:高橋千春)

◆2001年9月例会

日時:9月21日(金)PM7:00〜9:15
場所:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:22名

テーマ:「発達障害をもつ人の普通の生活をめざして」

講師:森佐登子さん(「泉の会」※事務局、YMCAトライアングルクラス相談員)
<内容>(講師のレターから)
障害を個性だと言い切ってしまうと、社会的責任や経済効率を応分に負担しなければ、一般社会では受け入れてもらえません。LD,ADHD,アスペルガ―、その他広汎性発達障害と診断されるこども達は、学齢期には特殊教育か普通教育かの狭間に立たされ居場所を失い、自立期には一般就労か福祉就労かの狭間に立って、いずれも自分に相応しいとは納得できない形で、生活の場を選択しなければなりません。
家庭でも、本人と家族が常に不安と期待に揺れながら、地域や行政の対応に一喜一憂することばかりです。
児童福祉法で守られている18歳未満までの学齢期と、それ以降では、この狭間の人達は「生きていく上で必要な力は何か」の認識を大転換するようになるのが常です。普通・特殊の何れの教育であろうと、学歴や教科成績のレベルがどうであろうと、障害者の手帳の有無に関わらず、「生きていく力」はソーシャルスキルとコーピングスキルを習得し、等身大の仲間のいる居場所を確保することに他ならないのです。発達共助連の理念と構想に共鳴しながら、「泉の会」活動5年の報告と今後の展望をお話したいと思います。
※LDと周辺領域を含む中・軽度知的障害の青少年を対象に、就労や生活自立の実現を支援する会


<9月例会に出席して>
泉の会・森佐登子さんのお話を聞いて森佐登子さんは、3人の子供さんをお持ちです。それどれ障害を持っており、児童相談所で現状を話されても、「もう少し様子をみましょう」とか「まま母、まま子」目でしか見てもらえずにいたということです。
この通信をご覧になっている多くの方々には、このような経験があるのではないかと思います。私もそのひとりです。私の知人数名には、成人しても社会に出ていけず「家で時間を過ごしている」ということを常々聞かされていました。
そのようなことがあるのかと思っていたのですが、我が子に障害があることが解り、7年が経過したのですが、義務教育の終了を目前にしてこのあとにはどのようになるのだろうという不安を抱いていたこの頃でした。失業者数の報告があるたびに増加しているというこの世の中で障害者はどのようにしていけばいいのでしょう。
・一定の就業者数を持つ事業所には障害者枠があります(障害者手帳を取得している
場合)
そういえばそんなものがあった。
・職業訓練が必要であれば職業リハビリテーションを受けることが出来る。
(障害者手帳を取得していれば安くあがる)
・自立支援が必要であれば、法律で制度化せれている。
森さん達の活動には法律を学び、理解することから、沢山のことがわかり支援しているということです。
それにはまず、「うちの子は知的障害があります」と児童相談所へ行くこと、次に「愛の手帳」の取得(サービスを受けることに大きな違いができる)をすることこのようなお話を伺いましたので私は、動き始めたところです。
森さんのプロフィールにもありましたが、「障害があっても充実した楽しい人生を過ごす」まさにその通りです。そう願っています。同性として森さんは、とても魅力的な方でした。
(記:渡辺久美子)

◆2001年7月例会

日時:7月21日(土) PM7:00〜9:30  
会場:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:23名

テーマ:「小さな学校の大きな冒険〜宮澤学園高等部湘南校の実践〜」

講師:津田 昭彦さん(宮澤学園高等部湘南校主任)
内容:講師のレターから   
高等学校でも導入される総合学習では、教室の中での授業にとどまらず、多種多様な教材の準備が必要となるはずです。また、子供たちの多様化に伴って、生徒一人ひとりのニーズを満たすためには、今までの一斉形式の授業形態から、より細かい部分まで配慮された授業への転換が要求されてきます。宮澤学園高等部湘南校では、1997年の開校当初から新しい形での授業を展開し、生徒たちの興味や関心を引き出し、「本物を見せる、本物に触れる、本物から学ぶ」学習活動が行えるよう、彼らの将来を見据えた指導を行っています。次の時代を担う生徒たちに対して、「何が必要なのか」を考え、(私たちが教え込むことではなく)彼らが学ぶことできるものを考え、実践している湘南校の教育活動についてご報告すると共に、これからの教育のあり方を皆さんとご一緒に考えていくことができればと思います


<7月例会に出席して>
 
宮沢学園の湘南校は、現在180名で約7割が不登校、1割〜2割がLD、1割が、軽い知的障害の子供達だそうです。
 1学年1クラス制でお互いを理解し尊重し会える人間関係を作ることを目的として、全員担任制で生徒を複数の眼で見る生徒が話しやすい先生を選べるようになっているようです。
豊かな自然環境の中で本物に触れることを目的として、農業、陶芸、美術館巡りや、大工さん、漫画家などいろいろな分野の本職の方を招いての体験学習が多く取り入られているようです。
3泊4日の北海道スクーリングでは、ジャガイモ、トウモロコシの植え付けや木工、乗馬、カヌー、つりなど自炊しながらの体験学習。
 国際交流プログラムとして、サイパンに一週間のホームステイ、アメリカで10日間イルカと触れ合うエコキャンプなど希望者が参加できるようです。また、授業では、少人数制のチームティーチングやテーマや内容によって授業時間を長くとってより深い学習を行っているようです。
高校は義務教育ではないので、できるだけ子供に合った所を選んで上げたいと思ってました。社会に出る前の自由で楽しい学校生活を送りながら友達を作り、いろいろな体験をして、自分に自信をつけていってほしいと思います。
 宮沢学園の説明を聞いて常々こんな学校があればいいのにと思い描いていたようなお話しでした。卒業後も就職がうまく行かなくなったときや、再就職したいときにもサポートして頂けるとの事でした。このような学校があるということが、これから先のことを考える時にとても希望がもてる気がしました。
(記:福室春美)

◆2001年6月例会

日時:6月22日(金)PM7:00〜9:30
会場:阿佐ヶ谷区民センター
参加者:35名

テーマ:「自閉症の療育」

講師:武藤直子さん(全国療育相談センター・スーパーバイザー、親子相談センター代表
内容:講師のレターから…   
 自閉症は記憶力に比し、関係の理解につまずきをもっています。能力に凹凸があり、高いところに焦点を当て過ぎても、低いところに焦点を当てても、不適応を起こします。そうゆう意味では、LDやADHDの子供達と共通の圏内にいます。一番つまづきの現れている表象能力で、発達段階を分け、プログラムをたててかかわっていくと効果があります。当日は、太田ステージを紹介しながら、表現能力の発達と自閉症の療育についてお話しいたします。


<6月例会に出席して>

今回のお話は、今月から小学校の心障学級の介助をする事になった私のためにあるような話しでした。
自閉症をより深く理解することでひいては、今その子に何が必要なのかということがわかるのだと思いました。とくに問題行動が、起きたときについついその行動だけをとって「やめなさい」と言いがちなところがあります。
そんな時こそ、そのもとになっている要因を探し対処する事が大切なのだという基本的なことから考えさせられました。
子供ととても身近な私たちからそういう基本的な事を理解していかないといけないと思いました。
(DS連員/渡嘉敷唯之・記)

◆2001年5月例会


・日時:5月25日(金)PM7:00〜9:30
・場所:阿佐ヶ谷区民センター

・テーマ:「教育生活38年を終えて」

<講師>山崎 靖雄さん(旧世田谷区立砧中学校校長)
・テーマ:教育生活38年を終えて
<内容>山崎先生は、数年前、新聞でも報道されたほど問題の多発した砧南中学校を立て直され、砧中学では、長年の検案事項であった教育相談室を赴任されたその年に設置されたという実行力の持ち主。山崎先生はいつも校長とは誰からも思われないジャージ姿のスタイルで、プールにニジマス2000匹を放ち生徒、職員、地域の大人や子供も巻き込んだ釣り大会をするなどユニークな学校改革を実践され、子供達のみならず多くの大人達からも深い信頼を得ておられました。その先生が、ご経験に基づき「自己紹介」「いくつかの危機」「私を支えてくれたの」「大人の役割」の4点についてお話下さいました。

<5月例会報告>
私が山崎先生に月例会の講師依頼の電話を入れたのは、先生の退職直前3月末のこと。ご多忙極まりない時期にも関わらず、電話の声は穏やかで「私が話すことは何もありません」と、大変控えめでした。伊澤さんからも是非にと薦められていましたからと、少々強引なこちらのお願いを受けて下さいました。
さて、当日、先生ご自身の生い立ちから話が進められました。(私は内心では凄腕の先生が自分の生い立ち?と思っていました)
荒れに荒れた学校、殺人事件以外は何でもあった程の中学校を建て直したのは、圧力でも権力でもなく、山崎先生の人となりと、素晴らしい教師集団でした。
東京の下町に生まれ、戦後の混乱期、人と人が肩寄せ合って生きてきたのを見て育ち、さらにご両親から深い愛情を受けて育たれたことで、先生の中には、人を信頼するという人間関係の基本が、ごく自然の事として存在していたとのことでした。
このことが、「子供を信頼する」「教師を信頼する」「親を信頼する」そして家庭は「子供を信頼する」という先生の基本理念の原点であったようです。
今の世の中、少々の障害や困難があると、それは直ちに不信や不安、おそれ、ねたみに変わってしまいますが、「信頼」という基本を貫き通したことが、先生のすごいとところです。
また、校長という事務的にも対外的にも忙しい立場にありながら、常に学校の中を周り、部活や授業に参加されたとのこと。これは、先生の何でも自分の目で見、自分の手で触って確かめるという理念から実行されたこととのことですが、言うは易くで、なかなか実行できるものではありません。先生の中には、管理職という言葉は、全く存在しないかのようです。
こうした現実的対応により、子供の良さも、教師の良さも見え、共に「仲間」であるという意識を持った「教師集団作り」となり、信頼を具体的に示して行かれたのではないかと思います。
大人であっても、仲間から認められ、団結して問題に立ち向かうのは何よりもやり甲斐があるでしょう。そういう集団作りをされていかれたのです。
どんな年齢であろうと、子供は夫婦の関係から人の繋がりを学んでいく。この関係が揺らぐと、子供はうまく育っていかない。
山崎先生は、終始物静かに、こともなげに話されましたが、大変意義のある力強さを感じました。
今回の月例会に参加された方は、もう一度思い返して下さい。参加されなかった方はビデオで撮影してありますので、事務局から借りてご覧下さい。
山崎先生は、私たち連員に、親として、人間としてのあり方の提言を静かに力強く訴えられたと、私は感じました。
(高橋サカイ・記)

◆2001年3月例会


・日時:3月23日(金)PM7:00〜9:00
・場所:阿佐ヶ谷区民センター ・参加者:26名

・テーマ:「長男と歩んだ10数年の総括」

<講師>原 悦子さん(発達共助連連員)

<内容>
内容:杉並連の原さん、ご長男の晋一君は21歳、昨年夏、ドイツに留学しました。
小学校の頃から伊澤先生に出逢い、家庭や学校の中でも、数々の紆余曲折を繰り返しながら、ご両親の元を離れ、はるかドイツで寮生活を送っているそうです。自分の未来につきすすむ力強さが、伝わってきますね。
そのたくましい成長を残した晋一君の経緯や親である原さんご自身の考え方を具体的な経験からたくさんのお話が伺えました。

<2001年3月例会に出席して>

原さんからの講演は、4度目になりました。私も4回聞けた一人となります。私達家族が共助連に入ってから早、9年弱です。初めの頃は大蔵病院で伊澤先生のカウンセルを受けるたびに「原さんや渡辺さんのところの話を聞くのが一番。」と言われてました。チャンスがあれば原さんの子育て論を参考にしたいと思っていました。ですがようやくわかったことは、子育て論ではなく、原さんという人間性を学ぶことだったようです。
伊澤先生が何度と無くそう伝えたくなるのは、今になってよくわかります。遅すぎるのであります。ですが、これからでもと思っています。
伊澤先生が原さんのカウンセラーとして大変助かったと言われたのは、「今するべきことが社会性を育てることであれば他をきっぱり捨ててくれたこと」だそうです。先生はよく「小学生の時は勉強などできなくてもいいんだ。それよりも社会性を学ぶ時。やる気さえ取っておけば後はいくらでも伸ばせる」とよくおっしゃいます。ところが私がしてきたことは、「そうはいっても、教えればできるのに何故しなくて良いの?」と親が頑張ってやってしまったことのようです。意欲、やる気をつぶしてしまったのです。
原さんから晋一君についてどのような経路をたどってこられたかのお話しの後に、「こんな事も言ったなぁ」とポロポロと…お話しされました。記憶の苦手な晋一君へ「あなたの頭は笊だけど網の目を一つ一つを埋めるようにして覚えていけばいつかは全部埋められるじゃない?」と、サラッとそういった言葉で励ましていらっしゃいます。
また原さんは「自分から子どもに要求はしない。だいたいは子ども自身が判断して決める」と聞いたことがあります。そうは思っても、私などは、気持ちに余裕があるときだけお伺いを立てるくらい。先日も子どもに「お母さんはいつも命令する」と言われてしまいました。
晋一君について先生方は言われます、「晋一君は、何か問題を投げかけると食い付いてくる子だ。それはとても強みであった」と…。そのように育ったことが原さん流の関わり方で得た結果だと強く感じました。
それから、以前父親の関わりについて原さんに伺ったことでお便りを頂きました。それには、
「父親としてはただそこに在るだけで充分、その役割はをはたして下さい。特に男の子にとっては、何も言わない協力は小さいうちです。父親が父親の生き方をしているのを、男の子達はだんだん意識しはじめ、批判や意見を述べながら、それでもモデルにしているようで、父親のようになりたい!と思おうが、なりたくない!と思おうが、どっちにしてもその土台となる人間のようでした。」と。
このことを質問した私は、そうか!と感動した後、私自身が自立していないことに気づきました。どこか主人に依存して甘えているのでした。
そして今回は 原さんの発表でしたが実は、晋一君との出逢いによって大きく人間観が変わったという、五十嵐先生の報告のようでもありました。
皆さんもご存じの五十嵐先生は晋一君の小学校低学年のころの担任の先生でした。家ではおとなしい晋一君が学校ではどんなに大変で、五十嵐先生がどう奮闘されていたかを知ることができました。五十嵐先生がすごいのは、皆さんの前でご自分の反省点を目に涙しながら語られていたことです。「もっともっと、きめ細かく告げていたら……。あんな風にパニックにはならなかった。心を傷つけずに済んだのに…」と。でもそうした五十嵐先生のような熱血先生と出逢えたことで、今ある晋一君を作り上げることができたのだとも思いました。
表面的にはとてもクールでありながら実はとても温かく深い愛情を上手に伝えられる原さんという人間性と教育者としてまた一人の人として愛情豊かで素朴で素敵な五十嵐先生の人間性にもまた感動いたしました。今回で原さんからの報告は締めくくりたいということでした。旅立っていった子の後ろ姿を見ることができた事を羨ましく思います。我が子も自立する日を楽しみに程良く関われるよう勤めていきたいと思います。
原さんにはたくさんのことを教わりました。子供達にアクセクしている私から自分自身をもっと磨くことに力を注いでいこうと思います。
本当にいいお話しをありがとうございました。
(渡部清美・記)

◆2001年2月例会

・日時:2月23日(金)PM7:00〜9:00
・場所:杉並産業商工会館 ・参加者28名

・テーマ:通級指導学級での取り組み

<講師>月森 久江さん(杉並区立中瀬中学校教諭)

<内容>(講師のレターから)
中学生時期の子供達の言動は、はたから見ても矛盾があったり、混乱していて周囲からは理解しにくい状態を示す。そのために中学生時期のLDをもつ子どもはますます「困った生徒」「指導が入りにくい生徒」のレッテルが貼られることになってしまうのである。
家庭でも、学校でも、評価されたり、誉められたりすることが少なく、不適切な関わりのまま経過していくことによって、様々な問題行動や神経症、反社会的行動出現してくることにもなりかねない。知識や作業能力を持っていても、情緒的に安定せず混乱したままでいることは、社会生活をおくる上でも支障をきたすことになる。学校社会の中で適切な対応により、子どもたちが自己の存在を認識し、自尊心を持ちながら生きていけるかどうか、その関わりの意味は大きいと思う。

<2001年2月例会に出席して>

2月22日に行われた共助連の講演を、共助連会員の方の紹介で聞く機会がありました。
中学校における通級指導学級での取り組みということで、興味深く聞かせていただきました。教科学習が難しい原因を、認知レベルまで溯り、個人の情報処理の仕方に応じて援助したり、弱さを克服するアプローチをされている点に、学ぶ点が多くあると感じています。
また、思春期という事で、心理的にも複雑になってくる時期への理解を、障害特性にも基づいて話しをされていたので、対応への理解も深まりました。現在、私は教育相談員をしています。LD(と思われる)子どもと会っていて感じる事は、学校生活の中で、多くの傷つく経験をしている事です。学校生活においては、勉強が出来る−出来ないの評価は、大きなウェイトを占めていて‘出来ない子’と思う場面や言われる事も多い様で、自己評価が下がっている場合もあります。何かしら得意な事があったり、周囲との関係がうまくいっている場合は良いのですが、自信が持てなかったり、周囲の評価が悪いと、結果として、不登校になるケースもあります。不登校で相談を受け始めていて、しばらくしてLDや軽度発達障害である事に気付く場合も存在しています。
従って、子どもの状態の理解をして(何が得意?何が苦手?どういう方法なら理解しやすい?等)、教科への援助や学校生活を有意義に送れる様に支援していく必要があると思われます。勉強での自信をつけるだけはなく、好きな事、得意な事や活躍できる場面を支援して、学級で受け入れられる機会や経験を積んでいく事が、自己評価を高めていき、社会に出ていく際の力になると思われます。
また、小学校から中学校に進学する際に、LDの子ども達の進学先には考える事が多いのが現状です。私の勤務している市では中学の通級は情緒障害(不登校)の子どもが対象で、発達障害があると思われる場合には、対象外となっています。現状として、LDへの理解がまだ少なく、中学校の通級学級がない区や市が多いと思われますので、中学生になる際には、学ぶ場の選択に悩まれる場合も多くあるかと思われます。
中瀬学級の様な個人に応じた学習支援・小集団で社会性を伸ばす事にも留意した指導が受けられる場が、多く出来る事を願うと共に、LDの理解と対応の啓蒙に力を注ぎたいと思います。また、私自身も深く学んでいきたいと思います。貴重な講演を聞かせていただき、ありがとうございました。
(山田雄一・記)

◆2001年1月例会

・日時:1月26日(金)PM7:00〜9:00
・場所:阿佐ヶ谷区民センター

・テーマ:〈透明な存在〉への道程(2)−神戸「酒鬼薔薇」事件後の子供を見る眼−

<講師>東 宏行さん(海老名市教育相談担当、臨床教育専門)

<内容>(講師のレターから)
前回の続きで、1997年の神戸「酒鬼薔薇」事件後、教育や心理の専門家達が、この事件をどんな風に見つめてきたのかを報告する予定です。現代の子供達が、1)どうやって大人になろうとしているのか、2)リアリティー感覚はどうなっているのか、3)身体世界の変容がどんな風に解釈されているのか、等について、理論的なこと・具体的なことの両方を含めて報告する予定です。余裕があれば、援助関係・教育関係・親子関係それぞれのとくしつを踏まえて、関係の中で存在する子供達の姿や、つきあい方にも触れたいと思います。

2001年1月例会に出席して>感想1

友人からの誘いをうけて、今回始めて参加しました。とても緊張して行ったのですが、まわりの人々の雰囲気がとてもアットホ-ムなかんじで、また先生もとてもおもしろいので、話をたのしんで聞くことができたと思います。私は、大学で心理学を学んでいるので興味深くきくことができ、特にバ-チヤルリアリテイの話のなかでデイズニ-ランドが人間の心理を考えてうまくつくられているということをきいて、とても納得し、同時におどろきました。また参加することができればと思います。
(飯塚・記)

2001年1月例会に出席して>感想1

今回のお話はとても興味が持てました。特にこの事件が起きた背景について、須磨ニュ-タウンというつくられた場所の影響があるのではないかというところです。空間が人間の価値観に影響を及ぼすということを知り、おもしろいと思いました。私も知らないうちに何らかの影響を受けているのかなあと考えました。さらに先生から、今の教育現場の話しを聞くことができ、現代の子どもの演技性などとても考えさせられました。また、こういった貴重なお話しを聞きたいです。(榎沢)(石田)

◆00年11月例会

・日時:11月25日(土)  PM7:00〜9:00
・場所:世田谷区砧図書館

・テーマ:透明な存在〉への道(1)「子どもと大人-今の時点で関係を捉え直す」

<講師>東 宏行さん(海老名市教育相談担当、臨床教育専門)

<内容>(講師のレターから)
この10年間ほどの間、センセーショナルに語られている少年事件を題材にしながら、子供・若者と大人(親・教師)の関係を、どんなふうに捉え直したらいいのかを考えたいと思います。
具体的には1997年の神戸連続殺傷事件後、教育、心理の専門家達の見方はどのように変わってきたか、また「透明な存在」にしかなれない子供達が失っている〈関係の世界〉等について報告予定です。できれば、最近の子供達を取り巻く支援・援助文化の変化や子供達の自我構造の変化などにも触れたいと思います。

<11月例会に出席して>

11月25日世田谷砧図書館にて、東宏行氏による発表がありました。「酒鬼薔薇事件」を中心とした多くの少年犯罪の事例を取り上げ、犯行に至るまでの子どもたち自身の心の経緯を詳しくお話してくださいました。
 東氏は、現代の子どもたちは言葉・現実・体ひとつひとつが相互交渉なく、バラバラで統一されていないことが多いようであると述べていました。また、発表後の「最近の子どもたちから、“自分が○○になってしまったらどうしよう。どうしたらいいと思う?”というような主体性のない質問を受けることがありますが、どのように対応すれば良いのでしょうか。」という質問に対し、「子どもに主体性がないといって責めるのではなく、自分が考えた現実ある言葉でその質問に答えてあげてください。」とお答えになりました。
 このようなお話の中で、私は「rearity(リアリティ)」という一つの言葉に深い関心を持ちました。確かに、私たち大人は現代の子どもたちには主体性がなく、現実味に乏しいと問題視しています。しかし、東氏のお話する通り、私たちは自分の気持ちを現実味ある言葉や行動で子どもや他の人々に伝えているでしょうか。子どもと大人が互いに気持ちを伝え合う現実の場を作っているでしょうか。子どもたちを問題視する前に大人たちの「rearity(リアリティ)」のなさに気づかなければいけないと思いました。このような重大なことに気づかせてくださった東氏に深く感謝致します。
 時間が足りないほど、身の詰まった11月例会でした。
(仲本 美央・記)

◆00年10月例会

・日時:10月27日(金)  PM7:00〜9:00
・場所:世田谷区砧図書館

・テーマ:「共助連草創期のDSとして今語りたいこと」

<講師> 出口 康雄さん(旧姓・桜井さん)(発達共助連草創期のDS)

<内容>(講師のレターから)
15年も前のこと今でいうDSとして、正木(現姓:鈴木)さんをはじめとして10名を超える学生が集まり、勉強会やデイキャンプをワイワイガヤガヤとやっておりました。当時すでに「学生は使い物にならない」といわれており、何かにつけて怒られました。しかし、それでも皆辛抱強く「いつかは見返してやる」を合い言葉に活動を続けましたし、親との関係も良く(と、学生自身は思っておりました)、自主性もあったと思います。
確かに当時の私たち学生と親や先生との観点や感覚のずれというものはあったわけで、そういったことは、私もこの歳になって(まだ若いんですが)分かるようになった気がします。
現在、職場で学生のような人たちを使う立場になってみると、「近頃の若いやつは使い物にならない」と思うことが多いのですが、そう思って叱る反面、俺の歳になれば分かるだろうと思ってしまうのもそんな経験からかもしれません。
DS自身も、育っていかなければならないのです。そのようなところを中心に、共助連という言葉がなかったころの学生と今の学生との違いや、こんな風にしたらいいんじゃないか、というような提言・苦言を話せればと考えています。

<10月例会に出席して>

この日の例会では学生時代に3年間DSをしておられた出口氏がご自身のDSやディキャンプなどの活動経験を踏まえた報告をしてくださいました。
出口氏の報告のねらいは、ご自身が学生であった頃の学生と現在の学生の違いを示すことにより、現在共助連で活動している学生達が自らの活動を見つめ直す機会を提供することにありました。
聴講されていた皆様もさまざまな感想をお持ちになったことと思います。私はまだ入連していない状態で(2000年10月31日現在)なので、現在の学生たちの活動状況についてはよくわかりません。ただ最近まで学生だったので、出口氏が話された過去と現在の学生の違いについてはいくつか思い当たることがあります。この中から特に印象に残った内容について、感想を述べたいと思います。
出口氏の報告の中で特に印象的だったのは、対立に対する考え方でした。出口氏のご報告を聞くと、出口氏がご活躍されていた頃の学生たちはまとまりがあるのですが、決して対立がなかった訳ではありません。むしろ先生や指導者に対する反発、保護者との対立、他大学の学生に対する嫉妬、先輩の反目などさまざまな形の対立が存在していたことを知りました。
これらの対立は現在の大学生の間でも発生します。しかし、対立に対する取り組み方が決定的に違っているように思います。出口氏は対立を「自分たちを高めあうもの」として捉えていました。わたしたちの世代は対立に対してなかなか肯定的な評価を下すことはできません。全体的には対立のないソフトな関係を好みますし、ひとたび対立が生じると一緒に活動することが困難なくらい溝が広がってしまうことがよくあります。対立をバネに成長していくという精神的な余裕を失ってしまっているのです。(かくいう私がまさにそんな状態だったのですが・・・)別に無理に対立をつくりだす必要はありませんし、仲良く活動できればそれはそれで良いことだと思います。
しかしある一面においては対立しながらも学びあっていくという視点も大切なのだということを教えられたような気がします。これから活動に参加するうえで非常に参考になりました。
(杉谷 開・記)

◆00年9月例会

・日時:9月22日(金) PM7:00〜9:30 
・場所:世田谷区砧図書館会議室
・参加者:26名

・テーマ:「不登校の我が子と歩んだ4年間-父親の立場から」

<内容>4年前から、当時小3のご長男が不登校になった松下さん。そのお子さまは、中学生になった今、学校も部活も皆勤賞とのこと。その松下さんが、大蔵病院そして発達共助連と出会い、お母さんは毎日のようにFAXでお子さまの様子を専任セラピストに伝え、お父さんは3回ほど行われたロールプレイには皆勤され、月例会も仕事の都合をつけ可能な限り出席されました。そのご両親の願いに答えるかのように、今では元気な姿を学校に表しています。
今回は、その4年間の苦闘を父親の目から見て、「k君の変化や成長」「家庭での対応」「どのように不安に対応していったのか」といった経験、さらにはロールプレイの効果などについてお話下さいました。“お父さんの声”は滅多にないチャンスでした。

<講師> 松下 久さん(発達共助連家族連員)

今回の月例会は、父親の立場からの発表でした。そこで1枚のプリントが渡されたのですが、兄弟の不登校になった頃から現在に至るまでの学校の状況や担任の先生、出席率までしっかりまとめて記録されていました。
実際に本人に会ったことのない私ですが、とてもわかりやすくお話が聞けました。父親の立場からの発表はめずらしいということですが、母親とは違った見方や接し方があること、父親と母親の意思疎通の必要性とお互いの理解の大切さ(これが一番難しいのかもしれませんが…)を、話を聞く中で感じました。
仕事の都合上、普段は子供と接する時間もない為、休日にある共助連のイベントには積極的に参加されたということにも感心しましたが、松下さんご自身が子供たちと一緒の場で楽しめるところにもキャンプなどに常に参加してきた秘訣が隠されているのかなと思いました。又、子供と話をする時、接する時のタイミングの取り方やきっかけ作がり等とても具体的な事が聞けたので大変、勉強になりました。どうもありがとうございました。(土井直美・記)


◆00年7月例会

・日時:6月23日(金) PM7:00〜9:30 
・場所:杉並区立阿佐ヶ谷地域区民センター
・参加者:26名

・テーマ:「どの子も善くなろうとしている」

<内容>群馬県北部の山中にある白根開善学校は、小、中、高12年間一貫教育をめざし、「人は皆善くなろうとしている」という教育理念に基づき学校長本吉先生はじめ教職員が、子供達と寝食を共にして山の生活を送っています。
いろいろな経緯を経て、山へ上がった子供達が繰り広げる数々のドラマ、そしてどのようにして、厳しい山の生活に馴染んでいくのかを、本吉・校長先生から、ご自身の教育に対する熱き思いを通して紹介して頂きました。

<講師>本吉 修二さん(白根開善学校(群馬県)校長)
なお、白根開善学校ホームページは、この発達共助連ホームページからリンクしています。

<7月例会に出席して>

本吉修二氏は群馬県の白根山に白根開善学校を設立。校長として、子どもたちと寝食をともにして、山の生活を送っておられます。氏の穏やかな語り口の中に学校を設立し、運営している実践者としての確固たる信念が漲っていました。これまで「ダメだ、ダメだ」といいつくされてきた子どもでも「みんな善くなろうとしている。」と、愛情いっぱいの言葉がとても新鮮でした。
多くの示唆に富む話の中で私が引き付けられた言葉があります。
「その子にあわせて、教育システムを考えてやっていけばいいのです。」
学校は子どもたちのものであり、子どもを育てる場のはずです。子どもに合わせて勉強の方法や、学級編成や、学校のシステムを自由に工夫し、考えていく努力を絶え間なくしていくなら、今日の問題の多くは何らかの解決の道をたどることができる……。
本吉氏が現実のさまざまな問題を相手に奔走されながら、ひたひたと歩いている姿に、私ももう少しがんばれそうな、元気を頂戴しました。ありがとうございました。
(阿子島茂美・記)


◆00年6月 月例会

・日時:6月23日(金) 
 PM7:00〜9:30 
・場所:杉並産業会館
・参加者:28名

・テーマ「我が子の社会人としての出発に感謝」

<内容>多摩連の伊藤たえ子さんの息子さんR君は、この春18才になり、南大沢養護学校産業技術科を卒業して日野市内にある企業に就職されました。亮君が中学生の時に教育相談所に通い出し、LDということをご両親が認識した事で子への理解が始まり、発達共助連に参加、生活が変わっていったそうです。今回、生い立ち、高校受験、就職それらの時間の経過を追いながら一区切りの今をふり返り、新たな課題のスタートの基礎として話を聞かせて下さいました。
LDの子供を持つ親には、貴重な体験談でしたし、他の心身不適応のお子さまを持つ方々にとっても、周囲の人達との関わりなど、非常に参考になる話でした。
また、R君の就職先の社長さんご夫妻もお見えになり、心のこもったご挨拶を頂き一同深く感銘しました。

<講師> 伊藤 たえ子さん
(発達共助連家族連員)

2000年6月例会の模様
2000年6月例会の模様

<5月例会に出席して>

久しぶりの勉強会でした。遅れて着いたこともあり、ドアを開ける手が震えてしまいました。伊藤さんのお話しが途中からになってしまったのですが、興味深く聞くことができました。
特に指導してくれる学生さんと亮さんだけでなく、ご家族全員が連れ立ってお祭りに出掛けたり、あるいはスポーツをしに行ったりして、楽しみながら続けてきた様子がうかがえてとても印象的でした。そして現在は部品製造会社に就職しているとのこと。しかもそこの社長さんご夫婦が勉強会にいらしていたのには感激してしまいました。その上さらに、その社長さんの、亮さんを長い目で見届けようとされているお考えにびっくりしてしまいました。素敵な会社に就職されたのですね。本当にすばらしいことだと思います。
今回の勉強会は素敵な時間となりました。
(荒井啓子・記)

◆00年5月 月例会

・日時:5月26日(金) 
   PM7:00〜9:30 
・場所:杉並区民センター
・参加者:33名

・テーマ「T.M君との2年間」

<内容> 講師は、今や高校2年生となって、元気に学校の通っているT.M.君が不登校だった中学時代の2年間ディベロップメンタル・サポーター(DS)として、活動されてきました。現在は、母校の大学で助手をされています。
今回の発表は、T.M.君の母親も同席されてのもので、T.M.君の変わり方がDSとしての視点から方と母親からの視点からそれぞれ述べられた。

2000年5月例会の模様
<講師> 藤本 昌樹さん(発達共助連DS・OB/東京成徳大学助手)

<5月例会に出席して>

藤本さんはT.M.君以外にも、以前家庭教師をされており、DSのベテラン中のベテラン(?)。セラピストのアドバイスを頂きながら独自の方法や工夫を織り交ぜて時には細やかに、時には大胆にT.M.君と2年間余りを共にしてこられました。
言葉による表現をあまりしないT.M.君だそうですが、話術巧みな藤本さんペースに乗せてすすめていったような印象ですが、そこはベテランの技で勘どころを押えての事だったようです。
又、同席されたお母様Mさんは、「Tは私の小さい頃にそっくりなんです。私も何も言わない子で、親は表情から意志を読みとったそうです」と言われました。
さらに小学生の時から学校への行きにくさを示した太郎君に対して不登校に関する本を何冊も読み、現実に直面した時“来るべき時が来た”と思ったそうです。私でしたらオロオロし、不幸のどん底に落ちたような思いにきっとなるでしょうに?Mさんは、微塵もその姿は感じられません。学生時代科学専攻だったとか、子供に対しても先見の目を持って冷静に的確に太郎君への状態を捉えていたのでしょう。
(高橋サカイ・記)

◆00年3月 月例会

・日時 /3月10日(金)  PM7:00〜9:30 
・場所:世田谷区砧図書館会議室

・テーマ「親は脇役、子供が主役」

<内容> 子どもたちは、大きな枠組みで見るとある程度の段階を踏みながら発達していきます。いわゆる乳児期、幼児期、児童期などという言葉は、その段階を表すものですが、ここでは子どもたちの発達のおおよその姿を追いながら、その折々の特徴を理解する事を通じ、子どもへの接し方についてお話しいただき、多くのヒントを頂きました。

<講師> 加藤 啓さん(日本心理学会認定心理士・彰栄保育福祉専門学校講師)

<3月例会に出席して>
乳児期、児童期の発達について話された後、今の私の最大の関心事である第二次反抗期について話しが差しかかると,それからは、加藤先生のユニークな発言、本音が伺えて参加できたことがラッキィでした。
“思春期の子どもの扱いについて”という質問に答えられ「いつもそのテーマについて言う時大変難しいのですが」と前置きされ、一言で言えば“凧をを上げるようなもの”と言われました。糸の太さ、力の入れよう、風の受けよう、そんな条件を配慮しながら、糸をひたいりゆるめたり、そして“子育ては芸術表現のようなもの”とも…。
専門書に何頁にもわたって書かれている内容より分かりやすい言葉でした。
一方以前に成してきた私たちは“過失”が余りにも多い……。
先生の話はその後の飲み会でも聞くことが出来ました。あの場では言えなかったけど“何でも良いことだ”と、後は子供の反応を見てうまくなければ、立て直せはよいのだと。そして方法はどうあれ結果が良ければ良いわけで、だからといってそれが誰にも当てはまるとは言えない。
少し気が楽になりました。「村さ来」での飲み会も会話の内容は、一般的に見れば重いものでしたが、笑いが絶えず楽しい時間でした。皆抱えているのです。私だけでなくカウンセラーの先生さえも……。
加藤先生の魔術にかかって、エネルギーをたくさんいただき、家に帰ればそれぞれの
現実が……。
それにしても、凧揚げだったり、アートとはまさに言い得えて妙だけど難しい!
(稲葉由美子・記)

◆00年2月 月例会

・日時/2月25日(金)19:00〜20:00
・場所:阿佐ヶ谷区民センター 参加者:26名

・テーマ「マカトンサインとシンボルの効用」

<内容>マカトンサインは子供達の心を開かせ、シンボルは文字や言葉の代わりを果たし、認識を深めていくそうです。
このマカトンサインによって、言葉以外のコミュニケーションの方法を、実際に養護学校で指導された経験をもとに話していただきました。

<講師> 春田 和子さん(発達共助連DSリーダー)

<2月例会に出席して>
春田先生はマカトン法とシンボルとはどんなものなのか?という話しをされました。
コミュニケーションのうまくとれない人と身振り手振りマークを使って対話をする方法を教えて頂きましたが、お話を伺って思ったことは、この方法はなにも言葉の障害がある方にだけに適用することではなく、あらゆる場面で使ってみようと思いました。
例えば、言葉はわかるのに何度いっても実行してくれないとき、お決まりのマークなどを目に付くところに張り付けておく。または日常会話には問題ないが、説明をしたり、文章の組み立てがうまく出来ない子に対し、シンボルを使うことで手がかりができ、言葉の抵抗が少なくなるのではないかと……。
はるか昔、人は絵文字を使っていました。耳から入る記憶より、目から入る記憶の方が強く残るのでしょうか?絵を見ることの方がその言葉の意味が伝わりやすいのではないかと思いす。人と人とが触れ合うということは、言葉という手段だけではなく、相手を目で見た顔の表情やしぐさ、耳で聞いた声のトーン、触れてみて感じる心などで知ることができます。
けれど人に興味を持たなければ、コミュニケーションは成り立ちません。また興味はあっても気持ちを伝える手段ができない場合もあります。我が子も自閉症であるがゆえ、言葉で気持ちを伝えることが困難です。回りがよく観てあげることで何が言いたいのか解ってきます。でもはじめて出会う人は驚いてしまうこともあります。人間社会で生きて行くには、まず相手を観察することから始まるという事でしょうか?
春田先生にはもう少しお話を伺いたいと思いました。
(渡部清美 記)

◆00年1月 月例会

・日時/2000年1月21日(金) PM7:00〜9:00 参加者20名
・場所/世田谷区砧図書館会議室

・テーマ/「人間の交流(コミュニケーション)における快」

<内容>2000年最初の月例会は、日本レクリェーション協会の関口先生のリードによって、簡単なレクリェーションゲームを楽しみました。
 暖冬とはいえ、寒さで堅くなった私たちの体や頭そしてハートや体を動かしてやわらかくし、皆さんがゲームを通して、親と子、あるいは人と人とのコミュニケーションが、言葉以外にも方法があることを体験していただけると幸いです。

<講師>関口 毅 先生(日本レクリェーション協会公認レクリェーションインストラクター)

今回は「人間の交流(コミュニケイション)における快」のテ−マで、レクリエイションとは?からあそび、娯楽について、そしてコミュニケイションの中で人を愉快にさせるには、ということについて学びました。
あそび(レクリエイション)=快、人を快い気分にさせること、そして快い気分にさせるには、視聴嗅味触の五感を満足させなくてはいけない。
キレイな店内で心地よい音楽の中、さわやかな店員の運ぶ、香り高くおいしい料理を食べること、そんなことがレクリエイションであると。おもしろいですね。
また、遊びを大まかに分けると、模倣、競争、偶然、めまいの4つなのだそうです。
めまい? 僕はそれを聞き、めまいとはドラッグだと思いました。またある友達は、こんなことを言っていました。「これってさぁ、女遊びじゃないの?」しかしこれはジェットコ−スタ−などのアトラクションやお酒のことでした。まあドラッグっというのも、遠からずだったのかも知れませんが。
次に実際にゲ−ムなどをして、大勢を楽しませるゲ−ムなどをしたのですが、後出しジャンケン、鼻と耳つまみ(それぞれをつまんでいる手を入れ替える)、ドジョウ掴み、チ−ム別クイズなどと、実にくだらない。
後出しジャンケンは後出しで、リ−ダ−に負ければ良いだけのゲ−ム。しかしこれが実に難しく、くだらないと思いつつ、つい夢中になってしまいました。最初は静かだった会場も、これらのゲ−ムが終わってみると皆、楽しそうに会話していました。
この一見くだらないゲ−ムにも、互いに交流の無い人と人との間に、まず共通項を見出させ、順順にコミュニケイションへと繋げていくという工夫があったのでした。
小学生だったころ、僕は祖父のスキ−教室によく参加していましたが、そこではアフタ−スキ−に、このようなゲ−ムやダンス、歌を歌っていました。そして見ず知らずだった人たちと、東京に帰り別れるころには、仲良しになっていたことを思い出しました。
ほんのちょっとした瞬間にコミュニケイションを広げるチャンスがあることを再認識
した、とても面白い勉強会でした。
( 竹中良太・記)


◆99年11月 月例会

・日時/11月27日(土)PM7:00〜9:00 参加者20名
・場所 阿佐ヶ谷区民センター講座室

・テーマ「親子関係のロールプレイ」

<内容>1998年11月、初めて「親子関係のロールプレイ」を、出席者も参加して実施し、なかなか好評でしたので、その第2弾として企画されました。
参加された方が、設定された特定のシチュエーション(98年より内容は具体的)で、親役や子役を演ずることによって、親としての自分自身の接し方の傾向に気づいたり、子供の気持ちを感じることを目的としています。そこからそれぞれが何かを発見していきます。
特に、思っていても上手く表現できないという方にこのロールプレイは効果的です。

<講師>奥村 朋江さん(大蔵病院成育心理外来カウンセラー/発達共助連アドバイザー連員)

 <11月例会に参加して>
11月27日の月例会は、とても勉強になりました
皆さんがそれぞれの立場から、様々な意見を出し合われていたので、今までの自分の考えとは、また違う視点から考えることができました。今後のいろいろな場面において、参考にしていきたいと思います。また子供への対応に生かしていきたいと思います。
とても明るく楽しい会だったので、是非次回も参加したいと思いました。ありがとうございました。                    
(中島 寛人・記)


◆99年10月 月例会

・日時/10月30日(金)PM7:00〜11:00
・場所/居酒屋「鬼無里」 ・参加者 24名

・テーマ 「発達共助連を考える」

<内容>発達共助連も、インターネットホームページを通じ情報発信するなど、大きく変わりつつある中で、発達共助連の活動のあり方等について、懇親会風にフランクに話し合いました。お互い顔は知っていてもな名前と一致しないという方もあり、それぞれが自己紹介する中で発達共助連との関わりや今の状況、今後の活動への希望等を話し、議論はお酒が入るにつれ大いにに盛り上がりました。


◆99年9月 月例会

・日時/9月10日(金)PM7:00〜9:00
・場所/杉並ボランティアセンター ・参加者 14名

・テーマ 「教育現場での常駐カウンセラーの立場と役割」

<内容>ここ数年前から各地域の小学校、中学校にスクールカウンセラーが配置されるようになりました。これとは別に、埼玉県では「さわやか相談員」という名称の学校常駐の相談員を配置しています。発達共助連DS・OBで心理学を専攻されていた馬場さんも、埼玉県浦和市で2年前から、この「さわやか相談員」として活躍されています。その馬場さんに学校の中での相談員としての位置付けや、相談室に通ってくる子ども達の状況、また相談員の出来ることなどお話していただきました。

<講師> 埼玉県浦和市さわやか相談員 馬場康宏さん(発達共助連DS・OB)

<9月例会に参加して>

「とても緊張しました」と言われた馬場さんですが、聞く私達には、とても落ちていていらっしゃるように感じました。当初スクールカウンセラー=さわやか相談員と思っていましたが、それは勘違いで、さわやか相談員は埼玉県独自の対策で、スクールカウンセラーは巡回性、さわやか相談員は指定校に常勤という違いがあることが分かりました。他にボランティア相談員という方も配置されているとのことです。(埼玉は手厚いですね)。
馬場さんのいる学校の相談室は特別教室のあるフロアーに設けられ、殆ど生徒の行き来がなかった所に馬場さんが常にいることでしだいに生徒が集まり、話し声や、笑い声の絶えないところに生まれ変わったように感じました。
我が子の経験から、中学という時期は友達の目に映った自分というものを手がかりに自己評価をしていき、仲間からのちょっとした言動で大きく左右されたり、悩んだり、仲間の目から見た大人を判断の基準にしたり、だから友達から、あー言われたこう言われた、どうせ自分なんか、どうせ大人なんかという言葉になっていくのだと思います。
こんな時期に私達大人や教師も、子供の話や視点についつい説教的、教訓的な言葉を加えてしまうので、子供は「そんなことわかっている」「言われたくない」、時には「ウルセー」などと暴言となって返ってくるのですね。
子供達は、今ある自分をOKとしてくれる安心できる相手を求めています。今ある自分がどんな自分であろうともそれを認めてくれる人を仲間を求めています。どんな話でも否定せずに聞いてくれる相手をその中で話していくうちに自分から解決策を見つけて行く場合もあるかもしれません。そのような立場をとっているのが馬場さんの仕事なのでしょう。「今の仕事が楽しい」と最後に言われた馬場さんの言葉がさわやかでした。
(家族連員/高橋サカイ・記)


◆99年7月 月例会

・日時/7月9日(金)  PM7:00〜9:30 
・場所/阿佐ヶ谷ボランテイアセンター ・参加者 34名

・テーマ 「小児科心理外来で見たこと、感じたこと、考えたこと」

<内容>41年間、学校という教育現場におられ、定年退職された依田さんは、退職後大蔵病院の小児科心理外来(現・成育心理外来)で、セラピストの伊澤さんと共に多くの子供たちと接してこられました。「伊澤先生というフシギな人とさまざまな悩みをかかえた人達との出会いから、私は戸惑いながら、悩みながら、あらためて学校とは、教師とは、家庭とは、親とは、世の中とは、人間とはという問題を考えさせられました‥‥」とは、講演前の依田さんのコメントです。

<講師> 元私立小中学校校長 依田好照さん(発達共助連アドバイザー連員)

<7月例会に参加して>

去年の10月共助連に入会させて頂き、まだ良く判っていない私ですが、共助連通信は毎回楽しみにしています。その中で、“これ読んだ?”シリーズの依田好照先生とは、どんな方なのだろう? と7月例会をとても楽しみにしていたのです。国立大蔵病院で伊澤先生と共にお仕事をされている方と判り顔を見てほっとし、話に聞きいってしまいました。
伊澤先生は、ヘンな人いやスゴイ人だ、と確か“これ読んだ?”シリーズにも書いてあったように思いましたが、子供の為に学校に行ったり、先生に会ったりお昼を食べる暇もなく忙しく動き回っているので、どうやって生活しているのか? 又、厚生省はこの現状をどう捉えているのか? という事など。そういえば昨年、私の子供が不登校になった時、伊澤先生が一緒に学校へ行ってくれて、行けるキッカケと学校の先生とのつながりを深くむすびつけて下さり「今の時代に子供と一緒に学校へ行ってくれる病院の先生、いるのかな〜?」と思い改めてやっぱりスゴイとうなずいてしまいました。
41年間、中学校の教論、後の15年間は校長先生であったという依田先生。40年前から今の学校制度が出来上がり、時代の流れと共にここ10年で大きな変化(動き)がでてきているという事で、今年の4月、文部省が学校を通じて親に配布した“家庭教育ノート”また、“学校崩壊”更に進んで“学校解体新書”なる本をご紹介くださいました。これらの本のタイトルからして、ずいぶん時代は変わってしまったものだと思いました。
また不登校といっても一人一人、内容が全部違うという事ですが、お話の中で、ある患者さんの例を取り上げて下さり、伊澤先生と学校の先生のやりとりを報告されましたが、とても聞きごたえのあるお話でした。伊澤先生は、子供の気持ちに視点を合わせた声かけをされ、そのわずかな違いで受け止める側の心境に180°の違いとなっていく。子供の気持ちを理解するのは大変な事だなと思いました。
最後に発達共助連という組織の良さについてふれられ、アッという間に9時を過ぎ講演も終わってしまいましたが、家路を急ぐ道すがら「子供の不登校を通して共助連との出会いがあり、依田先生のお話を聞くことができ、人生悪い事ばかりではない=いろいろあるけど共に生きよう=」、そんな事を考えていたらぼ〜としてしまい、新宿を通りこし、四谷まで行ってしまい、帰宅は深夜の2時。良い思い出に残った一日でした。ありがとうございました。
(家族連員/佐久間峯子・記)


◆99年6月 月例会

・日時 6月4日(金)PM7:30〜9:30 ・場所 杉並ボランティアセンタ−会議室
・参加者33名

・テーマ「不登校─自分の場合」

<講師> 中山耕治さん(発達共助連家族連員)

<内容> デイキャンプにも月例会にもよく顔を見せてくれ共助連の“主”のような風格を感じさせる今年21歳のデイこと中山耕治君は、小学校4年生の頃からいじめにあい、小学6年生の時から不登校という輝かしい不登校キャリアの持ち主。現在は専門学校に通って、調理師免許、電気工事関係など数々の資格を自主的に取得し、次へのstep upを考えている。その彼が、自らの歴史をひもとく形で、学校・教師、親、周囲の人たちとの関わりそして共助連とおよびそこで知り合った不登校仲間との交流の関わりなどを語り、不登校とは、周囲の人たちの関わりはどうあるべきかを議論した。

<6月の例会に出席して─感想>

デイ君こと、中山君のHISTORY,まさにHISTORY、でした。
今、本当に、自分の足で、自分の意志で、動き出し、着実にSTEP UPしているデイ君の様子がとても良く分かりました。そして、人は人と人との関わりの中でこそ癒され、変化し、成長し、自信を付けていくものなのだと改めて思いました。
良く、「後になれば、すっかり忘れてしまうわよ」などと言われる事があります。とんでもない。消し去らなければならない人生じゃありません。着実に一歩一歩、ただ真っ直ぐでなく、かなりランダムに、寄り道をしながら、迷いながら、確かめながら、ゆっくりと歩いているんですよね。皆に支えられ、守られ、引っ張られ、押され、励まされて。
伊澤先生にカウンセリングをしていただく様になった頃、こんなお話をしていただきました。「骨が折れたところは、それがしっかりくっつけば、前より太く、折れにくい丈夫な骨になるんだよ」「不登校を傷にしないで勲章にしよう」
共助連を始め、いろいろサポートしてくださる方々は、ギブスの様だと思います。
そのギブスがとれて自分の足で歩き始めるまで、松葉杖や車椅子が必要かもしれません。またギブスの中が痒くてイライラするかもしれません。やっとギブスがとれた足でも、筋肉が落ち、回復するまでリファビリが必要です。いきなりダッシュは無理ですよね。
時間はかかりますよね。そして、良い接骨医、接骨医院も必要です。
それが共助連のネットワークなんですね。
ギブス、松葉杖、車椅子の皆さん、ありがとうございます。私自身も松葉杖の一部と
なってサポートされる側から少しでもサポートできる側へと思います。
さて、我が娘の骨の付き具合は?
(心もレントゲンに写るといいな……。)
(家族連員/小林弥生・記)

<6月の例会に出席して─感想>

小林家の「ギブスその1」です……
デイ君・お父さん・お母さんと、「接骨医やギブスの人々」の何年にもわたる強い強い繋がり、とても勉強になりました。
そして、お父さん・お母さんがいつもデイ君を見つめ、デイ君と同じ時期を乗り越えてきたことがデイ君にとってどんなに強い柱になったかを感じました。
デイ君はいろいろな時期の話をしてくれました。学校、仕事、アルバイト。どの場面でも何らかの形で共助連の人々との繋がりは絶えなかった。必ず彼と繋ぐ手の存在があったのです。
こんな事が可能なのは、共助連独特のこだわりあってこそ。
「ギブスその1」を始めて早2年半。共助連独特のこだわりを実践していけたらと思います。
(DS連員/藤堂範子・記)


◆99年5月 月例会

・日時/5月7日(金)PM7:00〜9:00
・場所 杉並ボランティアセンター

・テーマ「ある子供との1年の記録-DSとしての体験」

<内容>中央大学の大学院生である加藤弘通さんは、T.T君のディベロップメンタル・サポーターとして、1998年4月から1999年3月までの一年間ついていました。当初はT君のペースにまかれて戸惑い気味だったそうですが、しだいに彼の気持ちを深く読み取り、本音や悩みまでも聞く関係を築いたり、彼のペースを上手に利用して、独自のアイデアを持って指導につなげてきました。今回、こうしたT君との一年間の経験を語って貰い、ディベロップメンタル・サポーターと家庭、子供の関係について議論しました。

<講師> 加藤 弘通さん(発達共助連DS連員)

<5月例会に参加して>

加藤さんの話を聞いて、まず、なんと難しい問題に取り組んでいるのかとあらためて驚き、さらに自分の家族の事を考えその解決の困難さに、途方にくれてしまった。
発達共助連に入り、同じような悩みを持つ親子の多くいることを知った。そして現在まだ日が浅く、我が子の状況を理解する事の手助けにならないものかと思い、似ている所、異なる部分を照らし合わせてみている段階である。
子供の考えている事や感情、精神の状況を解明し、良策をあみだし、導くなどと言う事は、とてつもない尊大な、私の能力の範囲を越えていることの様に思えてしまう。どの子にも同じように、「こうすればああなる」などといった簡単な法則めいた事はあてはまりそうにない。
しかしながら、その子、その年齢、その場に応じて、個別的な何か新鮮な感動にも似たまたショックのようなものやパワーみたいなのものとか、事態とかが新しい道が開けるきっかけになる様な気がする。それが何なのか、全く予想がつかづにいる。
何を言っても、「うるせー」「ばかやろう」「あっちいけ」と言い、自分に都合が悪くなれば嘘をつき、悪いことをし、物を壊す。叱ってみてもまずこちらの言葉を聞こうとしない。せっかんもだめ、その場では分かった様な素振りを見せても、本質的には理解していないし全く変わっていない。
加藤さんの試行錯誤や、子供とねばり強くつきあってゆく経過を聞き感服する。加藤さんの話の後、伊澤先生が『子供が成長したと思う時には、知らぬ間に自分も成長しているものだ』と言われた。その成長とはどういう事なのか、そういえば私自身あまり考えた事がなかったような気がする。本当に自立できるものなのであろうか。
現在今年の2月から週一回か二回、共助連の藤堂さん見てもらっている。初めのさ探り合いから、現在では家族の様になってきている。親しくなれた。あんなにかたくなな心を、少しでも開いてくれた様な気がする。しかも短期間にびっくりした。ありがたい。
しかし、その分遠慮もなくなり、子供は悪い自分を堂々と出す時が増えてきた。子供は一方的に話し出したり、あるいはだまりこくって全く話さなかったりと、不安定である。切れたときは制止するのに、ひと苦労する。『かなり良いな』と思えるときが多くあるが、『だめだ』と思えるときもある。先生も通り一遍の苦労ではない。
しかし私達、親よりも先生にたいするときは、応答がかなりあり先生の来る日は少し明るく、表情が少し優しい。また、私が叱った後や切れて騒ぐ子を押さえつけた後は、本人は疲れただけかもしれないが『ほっとした表情』を見せることがある。それが救いの様な気がする。
ガラス戸が大きな音に共鳴するように、彼女の心に響く言葉や何かが見つからないものか、せめてコミニュケーションがとれないものか、勉強会後考えるようになった。
そして最近は、私自身の我が子に対しての接し方や見方が少し変わったような気がしている。
(家族連員/樋山 信孝・記)

<5月例会に参加して> 

「自分の気持ちを彼にどう伝えるか」ということを加藤さんなりのやり方で上手にやっていたようですね。うまくいっている時はとても楽しいのでしょうが、そうでないと時は、大変だったと思います。5月23日のデイキャンプでT君に初めて会って実感しました。T君はいたずら好きでとても陽気な子でした。彼と加藤さんの家でのやり取りが見てみたいものです。
私も家庭教師をやっていたのですが、皆さんも自分の(家庭教師の)好きなようにやっているのでしょう。よかったらそううい話も今度聞かせてください。
(DS連員/永松 基記・記)


◆99年3月 月例会

・日時/3月12日(金)PM7:00〜9:00 ・場所 杉並産業商工会館 ・参加者: 18名

・テーマ「通級指導学級の現場から」

<内容>世田谷区立桜木中学は、都内でも数少ない中学生対象の通級指導学級で、その充実した授業内容や取り組み方の工夫等は、注目を浴び、見学者も多いそうです。今回は、その通級指導学級の創設以来ずっと生徒達の指導に当たられている福田先生に、学級の様子や子供達についてお話ししていただきました。

<講師> 世田谷区立桜木中学校通級指導教室教諭 福田哲治さん

<3月例会に参加して―感想>

今回は、福田先生より学級での取り組み、ここに通う生徒の様子について、主に指導事例を通してうかがいました。
学習障害児等について、中学生という時期的な特徴を考えた時、学業不振と学習障害の基本症状との関連がつかみにくい、学校生活への不適応感を強めやすい、二次的な情緒障害を起こしやすいなどといった指導の難しさが挙げられるということでした。状況の理解が苦手な子どもに対しては、ロールプレイを通して適切な行動様式を身に付けることができるよう援助を行っているということでした。
その中でA男のプレイ場面にふれながら「子どもの学習は成功体験から……」ということで、よくない部分を指摘してもその活動が嫌になるだけなので、できるだけよい部分を見つけてフイードバックするようにしているというお話がありました。(実践してみると結構難しい部分ですよね。)
「言葉の力」については、 一口に「言葉の力が弱い」といっても、語彙が少ない、順序立てて話すのが苦手など、その特徴は様々であるという説明がありました。こちらの学級では、2分間程度で話す「生活報告」や、「テーマ」を設けて話し合う活動を通し、生徒の特徴に応じた援助を行っているということでした。また、こちらの学級のように「学習障害」ということをハッキリ意識した取り組みを行っているところは、都内でも2校ぐらいしかない‥‥‥そうです。
最前線での価値ある取り組みについて知ることができた月例会だったと思います。                             (DS連員/馬場康宏・記)


◆99年2月 月例会

・日時/2月5日(金)PM7:00〜9:00 ・参加者  30名

・テーマ:「四中スペシャル」

・<内容>狛江第四中学校の校長先生に,「四中スペシャル」についてお話しを伺いました。「四中スペシャル」というのは,この学校の,今年度で3年目となるPTA行事なのですが,地域と学校のつながりを深めるのに大きな成果を上げているということです。今回,この行事が定着するまでの経緯や今年の分科会の様子についてを,スライドを使いながらお話ししていただきました。

<講師>狛江第四中学校校長 河西洋子さん

<2月例会に参加して―感想>

THE四中スペシャルは、子供達にいろんな学習の場を提供してやりたい、様々な生活体験や社会体験を通して子供達に主体的に生きる力を育てたいという思いから、学校やPTAが中心となり、地域の方々の協力を得て、三年前に誕生しました。学校という場を借りて保護者や地域の方たちが講師になり、それぞれの特技を子供達に伝授するという企画で、昨年度はお父さんが教える「男の料理」・プールを釣り堀にかえての「ニジマス釣り」・「着付け」・「生け花」・「お茶」(このあたりの分科会は男子に人気がある)「わらじ作り」(これは高橋サカイさんのおじいちゃまが講師を務めて下さいました)「昔遊び」・「手話」・「写真現像」等など20の分科会が出来、子供達は皆楽しくまた真剣に参加してくれました。
今回の校長先生のお話は、この様な企画が生まれ、年毎に盛んになるまでには、<地域の人達が子供達を皆認めてくれたことで自分の存在感をもてた、まわりの人達から自分の良さをあらためて認めさせてもらえ>という校長先生ご自身の生い立ちからの思いがあったこと、そして校長先生が日頃子供達に主体的に生きてもらいたいと心を尽くされていること等など、四中スペシャルだけにとどまらず校長先生の教育観を具体的な例を挙げて聞かせていただきました。
我が家の不登校の長男が四中に入学して以来三年間、息子のかわりに私が喜々として学校に通いPTAの役員を続けてこられたのは、この河西校長先生に対する絶対的な信頼感があったからなのですが、他のたくさんのPTAの会員や地域の方々も同じ思いであったからこそ四中スペシャルという一大イベントが生まれ大きく育つことができたのだと、あらためて確信できるお話しでした。
(家族連員/小野塚ちあき・記)


◆99年1月 月例会

・日時/1月8日(金)PM7:00〜9:00   ・参加者  25名

・テーマ:「いかに危機を乗り越えたか―我が家の事例」

・<内容>発達共助連の連員である経験豊富な3人のお母様方から、お子さまとの関係の中で、さまざまな壁にぶつかり合いながら乗り越えられてきた経験、そのころの共助連との関係、カウンセラーの方々との関係、そして現在の親子の関係などの話を伺いながら、子供の心身の不適応への親としての対応について話し合いました。

<講師>原 悦子さん、渡辺圭子さん、佐藤知佳子さん(いずれも発達共助連家族連員)

<1月例会に参加して―感想>

新年早々の例会でした。今回は大変楽しみにしていました。というのも渡辺さん、原さん、佐藤さんのお話はカウンセリングの時に、常々伊澤先生から「僕の話を聞くよりもこの人達の話を聞く方がいい」と伺っていたからです。多分、私にはその方が効き目があると思われたのでしょう。お話を伺って伊澤先生が何を言いたかったのかが、見えてきました。
3人ともそれぞれに抱えている問題や、家庭での母親の立場また子供の性質が全く違うけれど、母親としての子供への関わり方は、基本的に「みんないっしょ」なのだということなのでしょう。そんなことは分かっているつもりだったのですが、分かっていなかったのです。
「母親は受け身でなければならない」「母親はなんでも知りたがってはいけない」「母親は子供と共にぶつかり合い、共に乗り越え積み重ねていくことでそれぞれに上手に道を切り開いていけるのである」といったことを言われたような気がしました。
いつも出席者が母親中心となりがちな例会ですので、父親に対していろいろと期待や不満の話も出てきますが、今回の渡辺さんの話のなかに、ご主人の「何もしてくれない優しさ」を感じました。
我が家では奥さんがあまりにはがゆくて、つい主人の手が出てしまうのですが「好きにさせてくれていることで助けられている」といわれ、そんな風に考えられることが、これから何が起ころうとも乗り越えられる秘訣のように思いました。
私にとって例会は、忘れかけていたことを「そうでした」と蘇らせてくれるいい刺激です。
(家族連員/渡部清美・記)


◆98年11月 月例会

・日時/11月28日(土)PM7:00〜9:00 ・場所 阿佐ヶ谷区民センター〔講座室〕・参加者 33名

・テーマ:「親子関係のロールプレイ」

・<内容>11月の例会では、親子関係のロールプレイを企画しました。ロールプレイとは、平たくいうならば「寸劇」です。「ある親子の会話」のようなものを寸劇の題材として用意し、参加者には実際に親役・子役を演じること、あるいは観客として見ることを通して、親としての自分自身の接し方の傾向に気づく、あるいはいつもと違う視点で子供の気持ちを感じてみるなど、何か小さな発見をするような機会となりました。

・講師:奥村朋江さん(大蔵病院心理外来・発達共助連アドバイザー連員)、青柳恵美子さん(発達共助連DS連員)
    阿子島茂美さん(明星学園小学校教諭・発達共助連アドバイザー連員)、江副幸子さん(発達共助連家族連員)

<11月例会に参加して―感想>

「ロールプレイ」以前にも聞いたことがある言葉です。ゲームにも、「ロールプレイニングゲーム」とかあります。でも、実際どんなものだろう?と思いながら参加させていただきました。
「ロールプレイ」初体験者が多いので、全員で演じる練習をしました。初めは、小さな小さな割れやすい1個のたまごを実際にあると想像して一人ずつ手渡しで回して伊澤先生のところまで届けるのです。そ〜っと割れないようにやさしくやさしく届けられました。次におも〜い石です。自然と立ち上がって、力を入れてふんばります。1ど下に置いたりよろけてみてりとみんな演じてます。
演じることに少し慣れたところで、家庭でよくありそうな2場面が、用意されました。初めは、「いつも100点をとっている子が、今日は90点をとって来た女の子が、お母さんにテストを見せる」場面です。次は「仕事から疲れて帰ってきたお父さんに漢字がわからないと言って、男の子が相談する」場面です。2場面とも阿子島先生と江副さんが演じてくださり、それを見て感想を話します。
「それじゃあなたならどうする?」ということで、参加者が、ひきだされます。お父さんお母さんの言葉がけや態度で、子供の反応も違ってきます。2つ目の場面でも「気合いで書け!」というお父さんから、解りやすく大きく書いて説明してくれるお父さんまでおられ、子供の様子もそれぞれに違います。皆さん前に出られて演じていながらも、それぞれの味がでていて、見ている私は新鮮で楽しかったです。
また、逆に「自分ならどうするだろう?」という気持ちも出てきました。子供が落ち着いて自分の気持ちを話せるようにゆとりをもって接しているだろうか?一方通行になっていることも結構あるな?と反省したりもします。
五十嵐先生がおっしゃったことが、頭に残ります。「子供と接するときに、まっすぐぶつかってばかりではなく、少しゆとりをもって視点変えることも大切です」。
なるほどなあと思いながらも、子供といるときは、結構興奮している自分をどうしようかと思います。笑ったり、フンフンうなづいたりしながらも、ビビッと頭を刺激される貴重な時間でした。自分なりに日常生活の中で生かしていきたいです。
(DS連員/芳賀嘉輝・記)

<11月例会に参加して―感想>

「体験・ロールプレイ」に参加して娘が以前体験したことがあったので、私も一度は参加してみたいと思っていました。
今回は観客の立場でしたが、出演者がなかなかの役者揃いでしたから、大変楽しく自分も観客の立場で参加できたように思います。今回は「勉強のできる娘」と、「やる気のある息子」という設定で、参加者の母親たちからは、「こんな子供だったら苦労はしない」という感想がでていましたが、確かに実際の家庭の中では、『この一言』というのがもっと重みを持つ場面が多々あります。我が家でもなかなかに微妙な親子関係の中で、不本意に(ときにはわざと)放つ私の一言によって息子は荒れだし、今までせっかく保っていたバランスを崩すようなこともままあるわけです。
ロールプレイを行うことによって相手の気持ちを理解することはできても、問題は、自分(母親・父親)の精神状態をいかに安定させ、自分の理性と関係なく飛び出してくる言葉との葛藤を克服するすべを身につけるかではないかと思えます。
週の初めには学校へ行って先生から予定表をもらってくることになっている息子。月・火・水と登校せず、木曜日。朝仕事にいく前に、「今日はそろそろ行った方がいいんじゃない。」と一言。そして今日こそはと期待して仕事から帰ってみると息子はパジャマのズボンのまま。「今日もまた学校にいかなかったの。」とやたらに力を入れて嫌みをいわずにいられない自分。『わかっているなら言うなよ。相手を傷つけるだけで、何も解決に結びつかないよ』とどこかから聞こえてくる。「もう少し大人になってね」とアドバイスをくれたI先生の顔も浮かんでくる。それでも私の感情が言わせてしまうこの一言。修行がたらんなー。
次は是非こどもの立場で参加させてください。傷つく体験が必要そうです。準備をしてくださった奥村さん、青柳さん、名演技の出演者のみなさんありがとうございました。特に、芸に円熟味の増した五十嵐先生には'98主演女優賞を、体当たりで子役を演じた阿子島先生には'98新人賞を勝手に贈らせていただきます。
(家族連員/長谷川比呂子・記)


◆98年10月 月例会

・日時/10月9日(金)PM7:00〜9:00  ・場所/杉並産業商工会館  ・参加者 19名

・テーマ:「思春期とともに」

・<内容>杉並区の不登校児適応指導教室である「さざんか教室」で心理相談員をしているアドバイザー連員の目を通してみた教室での子供達の様子や、関わりの中でのこぼれ話から、大人たちが何をすべきかを考ました。

・<講師> 杉並区不登校児適応指導教室「さざんか教室」心理相談員 小泉桃代さん(共助連アドバイザー連員)

<10月例会に参加して―感想>

小泉さんは、杉並区にある不登校適応指導教室(さざんか教室)で相談室を担当されており、公立の中学生が主に通って来ているそうです。開設5年目を迎え、小泉さんを含む5人のスタッフが20人前後の子供達を自立に向けて援助されています。
在籍校に戻ることを一つの狙いとして、自らのエネルギーを回復させ、必要に応じて他人の力も借りながら、自分のペースで動いていく力をつけていく。少ない人数と緩やかな時間の中で、子供達に自らが生きていく力の方向づけにをているように感じた。
適応指導教室という名は、耳慣れぬためか少しいかめしく響いたが、子供達のために本来大人はなにをすべきか、大人としてどう援助すべきかを示しているように思う。
思春期を迎えた中学生が他人という鏡を通して自分をみつめ反抗しながら自立しようとしている成長の一過程をふんでいるにもかかわらず、大人は子供たちを学歴偏重社会へと早々に追い込み、子供たちは知らず知らずにマインドコントロールされ、受験への道を疾走する。子供本来の成長も見えず、心も声も聞けない多くの大人達。さざんか教室は子供対象ではなく、実は大人対象に実践をもって訴えているのではなかろうかと考えさせられた。
(家族連員/高橋サカイ・記)


◆98年9月 月例会

・日時/9月11日(金)PM7:00〜9:00  ・場所/杉並産業商工会館  ・参加者 23名

・テーマ「鏡映描写」

・<内容>心理学の実験に鏡映描写というのがある。これは鏡に映った星の形を見て、手元にある星の形の溝にそって線を描いていくというもの。逸脱しないようにできるだけ早く一周するのである。これはもともとは練習における技能の上達過程をみる実験に用いられるのだが、鏡の像を認知して、手を運動させることの困難さに驚く。わたしたちが当たり前として受け入れている現実世界も鏡に映った世界は全く別世界に見える。
LDの子どもたちの見ている現実世界もこうなのではなかろうか。昨年1月の例会で一度取り上げているが、今回もう一度その機会をもつことになった。実際に鏡の世界を体験してもらって、再び認知のゆがみの問題に迫ろうという趣旨です。

<講師> 大蔵病院成育心理外来セラピスト 伊澤正雄さん(発達共助連専任セラピスト)

<9月例会に参加して―感想>

仕事の調整がつき、まだ2回目なのですが、9月例会に参加できました。
テーマは「鏡映描写」の実験ということで、鏡を通して星形を3回なぞるものです。
私の時間ですが、まず1回目は1分30秒。「1回目としてはまあまあかなあ。2回目からはもっと短縮するぞ。」と思って2回目を開始したとたん、背後から伊澤先生の指示(後で分かったのですが)による「もっと真っ直ぐに」「できるだけ早く」などの攻撃が始まり、2回目1分12秒,3回目45秒という結果でした。学習効果による時間短縮はありましたが、2→3回目の差は、攻撃を無視する学習効果によるものかもしれません。
この実験では、鏡に写った星形を見ながら自分の手にどう動いて良いか指示できず、縦横方向はまだしも、斜め方向になると散歩を始める人が多かったようです。昔自動車教習所で、教習車が思い通り動いてくれなかった事を、ふと思い出してしまいました。
LD児については不勉強でまだ良く理解できておりませんが、自分の手が全く言うことをきかなくなり、周囲の励ましも邪魔になるという体験ができました。回数を重ねる毎に、時間が短縮されることから考えると、種々の体験が非常に重要なのだと思いました。
今回は、興味深い体験をさせて頂き、ありがとうございました。


◆98年7月 月例会

・日時:7月24日(金)PM7:00〜9:00 ・場所 杉並産業商工会館

・テーマ:「こころをひらく」

・<内容>神奈川医療少年院に法務教官として5年勤務された体験をもとに、「子供たちとの関わりを通じて得られたもの」についてお話しいただきました。

・講師:榎本クリニック精神科ソシャルワーカー 水野淳一郎さん

<7月例会に参加して―感想>

「鑑別所と少年院の違い、わかりますか?」という質問が投げかけられ、参加者一同(わかってらっしゃる方もいましたが、たぶん)目を点にし、「これからどんな話になるんだろう」という期待と不安が入り交じるなか、水野さんのお話は始まりました。
神戸の事件以来、メディアで少年院のことが取りあげられ、ブツ切りの知識はありましたが、「少年院はある意味、東大に匹敵する」という例は、とてもわかりやすいたとえでした。神奈川医療少年院に勤務されていた経験から、少年院に入院する少年の特徴をあげていき、非行という形を取って自分の苦しみを表現しているといったことを話されました。
そこで、水野さんがある少年のケースを紹介されました。運動神経抜群で、侵入盗としての天才的な技を自慢する、少年院内で一目置かれていた少年。この少年が、少年院対抗剣道大会の強化選手となり、はじめはうまく行かず自分の少年院内での地位も危ぶまれ、選手をやめさせてくれという訴えを聞き入れられず、非常に苦しんでいました。しかし、ある時ふっきれ、少年は熱心に稽古するようになり、持ち前の運動神経でメキメキ上達し、代表選手となりました。彼は大会で、他の少年院の猛者に勝つまで上達しました。大会後、全員の前で感想を言う場で、少年は「優勝した少年たちが教官と抱き合って喜んでいる姿に感動した。あの輪の中に入りたかった」と述べたということです。この少年は、全力で行うことの大切さに気づいたのです。
このケースを通じ、水野さんは大人が少年を変えようと思っても変えられないが、自分が全力になって少年とぶつかることで、何かが変わるということを実感されたとのことです。
次ぎに、現在関わっていらっしゃるアルコール依存症の方との関わりについて話されました。アルコール依存症は死と隣り合わせの病気で、はじめの頃は「死なせてはいけない」と、死への恐怖が強くあったそうです。しかし、何のために依存症の方にお酒をやめさせるのか、その先に何があるのか、「こうすればこの人は幸せになる」というのは、こちら側の思いこみであって幸せの押しつけであると考えるようになりました。このようなことから、押しつける関わりではなく、その人の生き方をサポートするために全力でぶつかること、これが関わる上で重要なことで、全力でぶつかるために勇気を持つことも大切だとおっしゃいました。
自分自身の生き様を全力でぶつけることの重要さ、そして、「こうあるべき」を無意識に押しつけている自分に気づき、幸・不幸は本人が決める権利があり、それをサポートする姿勢が重要であることを、水野さんのお話から学びました。
個人的に水野さんのお話を聞くのは今回で2回目で、初めてお話を聞かせていただいたときにも、いろんな人々と関わる上でとても重要な、わたしの土台の部分を形成するものでした。今回のお話も、あらためて自分の関わり方を振り返るきっかけになり、とっても有意義なお話で、勇気づけられました。そして、水野さんの心の温かさを十分に感じられる勉強会でした。
(DS連員/奥野純子・記)


◆98年6月 月例会

・日時/6月26日(金)PM7:00〜9:00 ・場所 杉並産業商工会館 ・参加者 28名

・テーマ:「僕の不登校」

・<内容>1998年成人式を迎えた発達共助連メンバー・山田文雄くんは小学校時代からの筋金入りの不登校児。その彼が、高校で生徒会長を務め無事卒業した。彼が自らの不登校の経緯を語り、改めて親やDSに問題を提起しました。

・<講師> 山田文雄さん(発達共助連連員/元・不登校児)

<6月例会に参加して―感想>
今回のお話では、何度も驚かされました。
はじめに配られたプリントの客観的で淡々とした文章が、まさかFくん一人で書かれたものだったとは…。もし私が今までの自分を一枚のプリントにまとめようと思ってもこんな風にはできません。流浪の話、高校時代の話 もとても楽しかった。
共助連の過去も少しだけ垣間見ることができ、ちょっとすっきりした例会でした。
Fくん楽しいお話ありがとう。ごくろうさま。 
(DS連員/藤堂範子・記)


◆98年5月 月例会

・日時/5月29日(金)PM7:00〜9:00 ・場所 杉並産業商工会館

・テーマ:「今の学校と子供達の関係について」

・<内容>子供達にとって学校は大きな存在ですし、社会性を育む点でも重要な機関ですが、その学校が現在、いろいろな面でうまく機能しなくなっています。学校(公立)という現場では、教育、子供をどのようにとらえ、どのように運営されているのか、97年3月まで20年間東京都の公立小学校の教諭を務めた講師がその背景にある考え方の一端を話されると共に、いまの学校に関する疑問がについて意見が交わされました。

・講師:学習塾ゆうゆう塾代表・産業カウンセラー 矢野裕一さん(発達共助連アドバイザー連員。元小学校教諭)

<5月例会に参加して―感想>

印象的だったのは、以前は「当たり前に存在していた」先生と児童という関係性が、今は「当たり前に崩れている」というお話でした。大人と子どもという関係性も曖昧になり、先生の言うことが聞くべきこととして権威をもって受けとめられない状況だとのことです。
それは私もいろいろな子どもたちに会ってよく感じています。先生や親を全く信用(信頼)しておらず、大人から学ぼうとする姿勢を持っていないため、本来はそこから教わるべき行動の価値判断の基準となる、常識的な行動(理解)の枠組みや社会性を持ち得ていない、そんな子が多いように思います(信頼できるような大人が周りにいない不幸な状況があるといえるかも知れませんが…)。
今の時代、たとえ子どもが多くの情報を得て豊富な知識を蓄えていくとしても、人との関係性の中で教えられ学んでいかなければ、どうしても社会性に乏しい自己中心的な人に育ちがちだと思います。実際に自己中心的な子どもがとても増えているようにも感じています。「自分がいいのだから他は関係ない」「自分は不快で、不快にしたあいつが悪い、あいつをぶっ殺してやりたい。何故あいつがそうしたか?あいつが悪いからにきまってる」といった捉え方をする子どもたちです。実際の人との関わりの中で、経験を通して相手の気持ちを考えたり教えられたり、教えられたことと自分の考えに折り合いをつけながら学ぶことをしてきていないのでしょう。しかしそんな子たちも、こちらとの信頼関係を築く中で、「この大人は好きだ、信頼できる、この大人の言うことなら聞きたい」という思いを抱けば、必ず徐々に変化していきます。矢野先生もおっしゃっていたように、子どもの発達の中である種の権威は必要だろうと感じています。
先日のお話で、「子どもが実感できる信頼の中から、自分で権威を見つけないとだめなのだ」というのがとても印象的でした。その意味では、以前は当たり前にあった「教わるべき権威」が失われた今、逆に私たち大人は、子どもにとって権威として信頼されるような大人にならなければいけないのだと思います。そのためには、私はどうしたらいいかを考えました。まず、私自身が人として魅力的であることが一番大切なのだと思います。自分自身が楽しく豊かな生活を送ることが前提なのかと思います。その他に、アンテナをはって子どもの声やサインを受けとめ、子どものよいところをひとつひとつ認めてほめながら、いいことはいい、悪いことは悪いこととして具体的に教える、こうした当たり前の関わりが改めて大人に求められているのではないか…、そんなことを考えさせられた勉強会でした。
(アドバイザー連員・大蔵病院成育心理外来カウンセラー 奥村朋江・記)