スキーキャンプは、1993年以降は、原則毎年1月そしてしばしば第2回を3月に、上越線沿線の土樽スキー場で開催しています。新幹線や関越道のなかった時代、川端康成が「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」と書いた、まさに清水トンネルを抜けた場所が土樽で、谷川岳の登山基地の一つです。上越線沿線では2番目に古いスキー場ですが、リフトが1本だけの極めて家族的なゲレンデです。定宿にしているのが、ゲレンデの中にある土樽山荘です。共助連のスキーキャンプのテーマは、「雪と遊び、雪と語ろう」です。
2001年度2回スキーキャンプ
(2002年3月)報告
2000年度第2回スキーキャンプ
(2001年3月)報告
 2000年度第1回スキーキャンプ
(2001年1月)報告

1999年度第2回スキーキャンプ
(2000年3月)報告

1999年度第1回スキーキャンプ
(2000年1月)報告・参加感想

1998年度スキーキャンプ
報告・参加感想

発達共助連2001年度第2回スキーキャンプは、2002年3月9日(土)〜10日(日)にかけて、いつもと同じく新潟県湯沢町の土樽スキー場で開催しました。
今年の春は駆け足で、雪はたっぷりありましたが、強い春の日差しで、さながら春スキーといった趣でした。
参加した若者の中には、半袖シャツやタンクトップ姿で春の日差しを満喫する者もいました。それでも、さすがはスキー場、午後3時頃からは急速に冷えだし、「寒い寒い」を連発していました。
41名の参加がありました。
☆02年度第2回スキーキャンプに参加して

どうしたことかこの春は、雪が解けてしまうにはまだ早すぎる〜!ゲレンデを見るまで心配しながら車を走らせました。いつもより遅れ家を出たのが5時半、その影響は大きく、土樽に車を踏み入れたのは11時近かったと思います。
電車組の連員達はいつもなら八時半には到着する私たちの訪れを心配して待っていました。こんな風に待っていてくれる仲間との旅行はやっぱり楽しいですね。
スキーキャンプは、9年目!その長い旅路には、いろいろなことがありました。我が家の次男晃平は今年、中学生になります。私たち家族が、こんなにもスキーにはまってしまったのも晃平のおかげ!兄の祐平は、ほっておいても友達を作りおにいさん達に教わり、私たちが手をかけなくても自分なりの滑りで楽しんでます。それが出来たこともほぼ貸切の土樽とたくさんの仲間達が居たからでです。
ご存じの通り晃平は自閉症です。とっても明るい自閉チャンで、皆さんを驚かせてばかりいます。
そんな晃平に共助連のスキーにおいて2つのことを克服しようとしています。1つは、自閉症には付き物といえるこだわりの異常反応の軽減、2つに、スキー上達への自信。余暇での楽しみの一つになれたら、将来に向けて働く意欲につながるかなぁと…!
スキーについては、スキーブーツを履くだけの1年目から長い時間を掛けてようやく1人でリフトに乗り、ひとりで滑り側に付いていなくとも大丈夫!お兄ちゃんと一緒でも大丈夫!になりました。私たち夫婦は結婚してはじめてのラブラブリフトに乗れました。
こだわりに掛けては超一流で、このキャンプの予定を四月の総会で決めたときから始まります。いつ行くのか、どの部屋に泊まるのか、車の中ではどこのラジオ局を流すのか等々!!行く日は、去年と同じ時期つまり去年行ったのと同じようにしたい、車の中では、県境になる度に地元の局を流さねばならないとか、部屋も「テレビ新潟」がきれいに映る部屋が良いとか、もしくは一度泊まったことのある部屋とか、何のことでイライラしているのか知るところから始まります。
ですが、晃平にはいつも晃平の思うようにいかないことを知って欲しいのです。共助連では、晃平がいつも気に入るところではなく、色々なところを経験し、意図的に練習させてていただきました。行く前から何度も「晃平の泊まるところは何という部屋?」と質問してみたり、文字に書いて記憶に残したり、また「嫌でも大声を出さない、好きな部屋に行かない」等、約束しました。結果とっても立派に過ごせ楽しむことも出来ました。
こういうことが出来るのも、毎回行っている土樽だからこそです。土樽のひげのおじさん優しいおばちゃんが受け入れてくださることも嬉しく思います。そして共助連という居心地の良い仲間で行けることがなにより大きいのです。
(渡部清美・記)

発達共助連2000年度第1回スキーキャンプは、2002年1月12日(土)〜14日(祝)の2泊3日で、いつもと同じく新潟県湯沢町の土樽スキー場で開催しました。
初めてスキーをするという子供も加わって、44名の参加がありました。

☆2001年度第1
スキーキャンプ参加感想

共助連に入連して2ヶ月、子供と参加する行事はクリスマス会に続いての2回目。小3と年長の2人の子供の一家4人での参加。入連前から、その案内でスキーキャンプの様子は何となくわかっていたものの、参加してその3日間を振り返ってみると、少しずつ共助連の姿と、自分たちがどのように関わっていけばいいのか、何となくわかったような気がしてきている。
初日、土樽スキー場に着いて最初に思ったこと、それは「ホントにリフトが1本しかない」。しかし、これが幸いして、いつものようなスキーに来てまで、何かに追い立てられるような、滑らなきゃ、というような気持ちよりも、のんびりと、ゆったりと時間を過ごせる場所に来た、という気持ちに最初になれたことは間違いなかった。山小屋のようでありながら、清潔に手入れされた土樽山荘も素晴らしかった。初日は14時頃からあいにくの雨になってしまい、早々に山荘に引き上げてしまったが、子供たちは、次々と友達を作って、汗まみれになりながら地下の体育館?で走りまわっている。普段なら「走っちゃいけません」なんて言われるのに、今日は言われないな、なんて思っていたかどうかは分からないが。
夜の懇親会も、子供たちにとってはDSさんや友達と遊んでもらっていることが、ただ楽しいようだった。一方の大人たちは、おいしいお酒と、ゆったりした時間があることでただ満足。子供たちも、そんな雰囲気を感じ、居心地の良さを感じていたのではないだろうかと思う。
参加している子供と話をする中で、今回は家族なしで一人で参加した子、帰りは電車で一人で帰る子、など、子供自らが自主的に参加していることを知った。自分の子供たちも、そんな子供たちと触れあうことで、いつか何かを感じてくれればと思う。今はまだ、親中心の、できる範囲での参加でしかないが。
かまくら作り、大きなそりでの大滑走など、若さあふれるDSさんいなければとてもできない遊びを子供たちはさせてもらい、親でも先生でもない大人、お兄さんの存在が子供たちにとっては、今回の最高の想い出のようだ。
親の私たちも、日常から離れた穏やかな、貴重な3日間を過ごすことができたと思う。ありがとうございました。
(石垣千佳子)
発達共助連の当初活動計画にはなかった2000年度第2回スキーキャンプを、2001年3月10日〜11日、いつもと同じく新潟県湯沢町の土樽スキー場で開催しました。発達共助連行事初参加というご一家も加わって第1回と同じく、42名の参加がありました。

☆2000年度第2回スキーキャンプ参加感想

初めて共助連の行事に親子3人で参加させて頂きました。
土樽も共助連も初めての事なのでどんな所なのか、と楽しみにしていました。
宿に着いてひと休みしてから滑りました。ゲレンデは2日間とも雪が降り続き、良質なパウダースノーが、たっぷりとあり、滑りやすく、リフト待ちもなく、子供が迷うこともなく安心して滑れました。
我が家はスキー大好き家族です。いつもは真面目に(?)スキーが上達する事やゲレンデを征服(?)するために滑っているような感じなので、どこを滑るか、誰が前で滑るか、どこでお昼を食べるかなどでもめたりケンカしたりでした。
それが今回は子供を丸一日スクールに入れたり、山荘の他に食事のできる所がなかったり(そのお昼がおいしかった事も救われました)、宿で子供がさわいでも気にならないし、遊んでくれる人もいて、親子ゲンカをする理由が、まったくありませんでした。
それからいつも、共助連通信を読んでは「なんだこの飲み会は!!」と思っていた私たちも夜の飲み会に参加でき、色々な方とお話ができてよかったです。子供もDSの方やお兄さんやお友達と夜遅くまで遊んでいて大満足のようでした。
親子共に色々な方とふれあうことができ、久しぶりに有意義なスキーができました。ありがとうございました。(高木菜穂子・記)

☆2000年スキーキャンプ参加感想(子1)

1月6日午後5時20分に家から出て、外は真っ暗だった。上野から特急水上1号にのって水上から上越線にのって土たるスキー場につきました。列車の中から雪にうもれている町が見えて来ました。
スキー場についたら雪がふっていて雪道を登って土たる山そうにつきました。
初めてスキー板をはいて雪の上に立ったけど新雪がたくさんつもってたから、ぜんぜんすべらなかった。
2日目にスキースクールに午前中だけ入った。午後からリフトで頂上に行きました。けどぜんぜんすべれないしすごくこわかった。
そして3日目ソリをやりました。ソリをやるとき一番さいしょやるときけっこうスピードが出てすごかった。スキーコースでやると速くてころんだ。大きな二人乗りのソリを持ってきてお母さんといっしょに乗ったら右へ曲がって行った。つかれたのでソリをかたづけて部屋にもどった。それからお昼ごはんを食べに食堂へ行ってラーメンを食べた。
午後からかまくらをほりにお兄さんとスコップで真ん中にほり、進んで中を広げて大人一人分の穴を作りました。けっこうたいへんだった。かんせいして帰る時間になったので待ち時間に食べるおかしを買って待ち時間の間に食べました。それから列車で帰りました。楽しかったです。
(福室陽介くん)

☆2000年スキーキャンプ参加感想(子2)

お正月にスキーにいったこと
かぞくで車でスキーじょうまでいきました。
スキーにいくとちゅうで雪がふって 大雪になりました。にいがたのゆ沢にいくときに、タイヤのチェーンをつけなければいけないところがありました。それはやっと終わって、ながいトンネルをぬけてにいがた県につきました。こうそくどうろでゆ沢でおりてまたもどって、土たるスキーじょうについてごはんの時間につきました。ごはんをたべ終わって、とまってへやにぼうっとして、なんかへやから電車のおとが耳にきこえました。それであそんでねて、その日のあさごはんをたべすぎてくるしいから二時間もねてしまいました。それでしゃべるでかまくら作りをやって、雪がっせんをやったらあられをとって雪にあられをいっぱいあつめて、あられドームをつくってそれでへやにもどりました。またよるごはんをたべて、ふろにはいってきがえてよるおそくまで遊びまくってあばれていました。
(東海林 泰寛くん)

☆2000年スキーキャンプ参加感想(母1)

初めて共助連のスキーに、子供と二人で参加しました。現地集合、現地解散と聞いてちょっとびっくり!
土樽スキー場へ行く列車の本数が少なく、乗り継ぎが大変でしたが、その代わり人が少なく、雪質がとても良かったので滑りやすくて家族向けのスキー場でした。小学校6年の陽介は、初めてのスキーなので、何日も前から楽しみにしていて、行く途中の列車の中から雪景色が見えてくると、大はしゃぎをしていました。
土樽山荘は、有名な冒険家の伊藤周左衛門さんの経営する素敵な山荘でした。川戸さん一家とは、長いお付き合いの様で、私達が行ったときには、息子さんがアルバイトをしていました。
山荘についてさっそくスキーをしました。新雪がたくさんつもっていたので、初めての陽介は、なかなか滑るのがむずかしい様でした。
夜は夕食の後に大人は飲み会をしながら色々な話にはなをさかせ、子供達は思い思いの遊びをして過ごしました。私も東海林さん、高橋さん、松下さん達と色々な話ができ、帰ってからも連絡が取り合えるようにアドレスを交換しました。
皆さんと話をしていると勇気づけられることが多く、これから先何か困った事があったとき相談出来る人達がいる事が心強く、気持ちが楽になったような気がしました。
次も日は朝からやる気満々の陽介は、リフトに乗って頂上へ行きたいと無茶なことを言いだしたので、午前中スキースクールに入ってから連れて行く事にしました。頂上に着いてみると思ったより急で、少し怖かった様ですが、何とか転びながら下りて来ることができました。陽介がスキースクールに入ってる間に私も滑り、伊澤先生にアドバイスをして頂きながら久しぶりのスキーを楽しむ事ができました。
スキーを脱いだ後はスコップでかまくらを掘って、その後東海林さんや川戸さんやDSのお兄さん達と雪合戦をしたり、つららで遊んだりして、夕食ぎりぎりまで外で遊んでいました。部屋に帰ってからは、DSのお兄さん達と子供達とウノをしたりトランプをしたり追い駆けごっこをしたりと楽しそうに遊んでいました。
一緒に行かれた竹中さんのお父さんは、ご高齢なのですがとてもスキーがお上手でお元気なのでびっくりしました。ちょうど1月7日がお父さんの83歳、お母さん77歳のお誕生日で皆でお祝いしました。
3日めの午前中はそり遊びとかまくら堀に熱中していて帰る時間になってもなかなか止められなくて、本当に大満足の3日間でした。
陽介にも私にとっても楽しい思い出になりました。また来年も行きたいと思います。
(福室春美・記)

☆2000年スキーキャンプ参加感想(母2)

(前略)
先日のスキーキャンプに際しましては、大変お世話になりました。家族で楽しむことができて、十数年ぶりに(?)、こんなに楽しいスキーに再会できるとは、夢にも思ってみませんでした。
息子も喜んで、さっそく新学期の授業で、思い出の作文を書いて参りました。こんなに楽しさの伝わる文章が書けたのは、学芸会以来です。土樽での生活のすべてが、息子に元気を与えてくれました。
お陰様で4年生になってからは、休まず学校へは通っていますが、前途は多難です。けれども本人も家族も「楽しい思い出」こそ、それらを乗り切る知恵と勇気を与えてくれると信じています。(後略)
東海林充子・記(スキーキャンプ担当宛のお手紙からご本人の了解を得て一部抜粋したものです)

☆2000年第1回スキーキャンプ実施報告

年が明けて間もない1月6〜8日にかけて、21世紀最初の発達共助連行事となったスキーキャンプを、例年通り新潟県湯沢町の土樽スキー場・土樽山荘で行いました。
まだ松の内からという開催日程には、参加者が少ないのではないか、という声も運営委員会で挙がり、スキーキャンプ担当としても心配していましたが、それを吹き飛ばすように、このキャンプにも44名の方が参加、発達共助連パワーを実感しました。
他のスキー場に雪がなくてもここにだけは必ずあるという谷川連峰直下の土樽スキー場ですが、今年は例年にも増して雪がたっぷり。大げさにいえば、前世紀の暮れから、雪が降り続いていたそうで、6日にも雪が降り続き、皆さん特に車で来た人たちは、大変苦労した様子。それでも到着後、すぐに雪の中に飛び出して行った子供たちのファイトに脱帽1
時期が時期だけに、心配していたDSの参加も、4名あり、これで、大人としてはゆっくり飲めるぞ、とほっと一息。
案の定、いつもの事ながら、子供たちは、親などそっちのけで、DSのいる大部屋に居着いてしまい、見捨てられた親たちは、夕食時間にようやっと子供たちとの対面を果たせたとか。
土樽山荘の広い体育館を借り切っての夜の懇親会も当然のごとく盛り上がり、子供たちが誰に気兼ねもせず遊び回る傍らで、親たちはアルコール付きの歓談に文字通り酔いしれていました。子供たちの中には、DS・子供部屋から帰らずそのまま寝込んでしまった子供もいて、DS部屋は大混雑だったとか。
「こんなにスキーとその夜を気兼ねなく親子ともども楽しめるのは、発達共助連のキャンプだけですよね」と語ってくれた方もおられました。
大雪続きの土樽も、さすがに発達共助連に配慮したのか、誰かさんの日頃の行いが良いのか(伊澤さんでないことだけは確か)、7日は薄日がさすという絶好のコンディション。皆さん、快適そうにスキーに打ち込んでおられました。スキー学校に入った子供たちの上達ぶりが、リフトの上から眺められるのが、ここのスキー場の特徴。皆熱心にレッスンを受けているのを見て、とても楽しく嬉しい気分になったのは私だけではないでしょう。スキー学校に入らなかった子供たちには、この日何と83歳になられた現役のスキー教師である竹中さんのお父上が、個人教授。教えを受けた子供たちが次々と上手になっていく、その教え方の上手さに感心しました。
伊澤さんご一家は、午後お帰りになりましたが、他のメンバーはリフトが止まるまでスキーを堪能。子供たちは、スキーの後は、そりに、雪堂堀りにと大車輪。雪との遊びを文字通り楽しんでいました。
その夜、夕食時には竹中さんのご両親の誕生日(お父上83歳、お母上77歳)をお祝いして、皆で「ハッピーバースデイ」を合唱しました。
大人たちの夜の飲み会、子供たちの遊び会も前日同様行われ、それぞれの時間を楽しみました。お父さん方4人は、お母さん方が引き上げ、アルコールがなくなっても議論を続け、その傍らで「この親父たちいつになったら寝るんだろう」と心配そうにDSが見守っていたのが印象的でした。でも、お父さん方だけで、こんなに話し合ったのはスキーキャンプで始めてのことでした。
翌日は、またまた朝から大雪。この日は流れ解散ということで、みなさん適度に滑った後、帰路に就かれました。
今回のスキーキャンプでは捻挫などの事故もなく、担当としてはほっと致しました。
来年のスキーキャンプを楽しみにしましょう。
なお、今回のスキーキャンプの感想を、東海林さん親子、および初参加の福室さん親子から頂きました。担当者としては嬉しい限りです。東海林さんのお母様の文章は担当宛に頂いた手紙の一部をそのまま掲載させていただきました。
(スキーキャンプ担当/川戸康暢・記)

☆第2回スキーキャンプ報告

今年度第2回目のスキーキャンプは、さる3月11日(土)〜12日(日)にかけて、前回と同じく上越線沿線の「土樽スキー場」で実施しました。
参加者は、37名でした。
3月というのに、何と1月の第1回キャンプの時に比べ、雪の量は大幅に増え、雪質も上々でした。それもそのはず、我々の到着する2日前に猛吹雪で1メートルも積もったとのことでした。
今回も7名のDSが参加してくれました。前回とは異なり、女性のDSの参加がなかった代わりに、発達共助連行事に初参加の意欲溢れるDS新人が3名も参加してくれました。また、N君、K君もスキーキャンプは、初参加でした。前回も参加のR君、F君は、前夜(金曜日)の勉強会で明け方まで皆と一緒だったとかで、かなり疲れた様子でしたが、それでも子どもたちと一緒に滑り、また遊んでくれました。DSの皆さん、ご苦労様でした。
土曜の夜は、もちろん体育館を借り切っての親睦会。ただ、前回と違い、お母さん方の参加が少なかったためか、お父さん中心の懇親会となり、もう一つ盛り上がりを欠いたのが残念です。それでも、翌日、朝早く、渡部ママと高橋サカイさんが到着するや全体の雰囲気ががらっと変わったような気がしたのは、私だけでしょうか。
今回印象的だったのは、久しぶり参加のJ君、以前は全くスキーを履こうとしなかったのに今回はゲレンデまできてスキーを履くまでになったこと、前回かなり滑れるようになったK君が今回は休むことなく滑りまくり追いかけるご両親が疲労困憊(こんぱい)の様子だったこと、また前回参加されたがスキーを履かれなかったSパパが10何年かぶりといいつつスキーを履かれ滑られたことでした。また、子どもたちだけの参加も、5人にのぼり、本来あるべき姿に近づいてきたといえましょう。
また来年、土樽でお会いしましょう。
(スキーキャンプ幹事・記)

☆スキーキャンプ参加感想・1

2000年1月スキーキャンプ写真集

以下の写真は、いずれもクリックすると大きくなります。時間が少しかかるかもしれませんが。

我家は今年で2回目のスキーキャンプに参加しました。昨年度は直前にYMCAのキャンプに参加させたにもかかわらずスキーをしようとしなかった兄。前日のDSの先生にも「行きたくない」と訴えていました。父親と相談して必ずスクールに入れることにしました。
一日目は、足手まといの弟とは対照的に黙々とガンバっていましたが、やはり、リフトには恐くて乗れませんでした。
二日目はスクール開始30分でダウン。「お父さんにおこられるぞ」の威しで再会。午前終了時にリフトに乗ることをコーチと約束。さて、午後早々と姿が消えて、リフトに乗っていった様子。泣いていないか、あばれていないかと心配していましたが、コーチの支えでようやく降りてきました。弟の方は思いきってリフトであがり、放りだすと恐いもの知らずでドンドンすべっていきます。それを見ていた兄の方も恐々滑っているではありませんか。
幼稚園の年中から始めたスキー。4年生になってようやく自力で滑ることをおぼえました。何事も人の倍以上の時間がかかるけど、この自信が今回のキャンプの大きな収穫でした。今日、新聞紙面で「阪神大震災から5年〈共助〉体験を生かし」という言葉を目にしました。世の中にも〈共助〉という言葉が存在し、〈便乗〉ばかりしている自分を反省しています。
(家族連員/望月恵理子・記)
2日目たまたま一緒になった人たちで記念撮影
リフト乗り場の前で、お母さん勢とDSたち

☆スキーキャンプ参加感想・2

先日おこなわれたSKIキャンプでは、またまた感動を持ち帰る事が出来ました。
それは感想のところをご覧になれば、その感動が伝わると思います。
毎月のデイキャンプでは、味わえない楽しさがあります。三日間という短い期間に今まで山の下でみんながスイスイ滑り降りて来るのを眺めているだけだったのが、みんなと一緒にリフトにのって滑り降りてこれたということは、人ごとであっても嬉しくなるものですね。そんな興奮をもういちどあじわいたくて3月11日12日に第2回SKIキャンプを行うことに致しました。熱い感動を体験したい方、心行くまで飲んで、おしゃべりしたい方、終電を心配することなく楽しめます。
(共助連通信編集者・記)
スキー学校に入ってまず歩く練習から始めたスキー初心者の人たち。しかし、翌日には、ボーゲンでぼちぼちと、3日目にはスイスイとゲレンデを舞い降りておりました。

☆スキーキャンプ・幹事報告

1999年度第1回スキーキャンプは、新潟県湯沢町の土樽スキー場で、2000年1月8日(土)〜10日(祝)にかけて実施しました。
これまで15日であったの成人の日が第2月曜に変更されたため、最近のスキーキャンプでは初めて、2泊で実施したわけです。正月が明けて早々のため参加者数を心配していましたが、初日の8日には39名、翌日9日は実に52名、どちらかに参加されたかたの合計では57名の参加という、土樽スキー場でスキーキャンプを初めて以来最高の参加人数となりました。
肝心の雪は、暖冬のため、年末に降って以来あまり積もっていない、ということで決して良い状態でなく、近くの有名なスキー場である越後中里スキー場などでは地肌が露出し始めていましたが、それでもここ土樽にはたっぷりの雪があり皆さんそれぞれに雪と戯れていました。
そして、夜は、もちろんお決まりの飲み会。今回は、定宿の「土樽山荘」のご好意で1階の広い体育館を占拠、大人たちの飲み会の傍らで子供たちは誰にも注意されることなく走り回ったり、ゲームに興じたり、と大人、子供それぞれに大いに盛り上がりました。2日目など時のたつのを忘れ、話まくり、飲みまくり、気がつけば夜中の1時半とか。幹事は、ついにはTさんに部屋まで強制送還される始末でした(Tさん、ありがとう、ご免なさい、でも覚えていないのです)。
従来は1泊2日が原則でしたが、子供たちが雪に親しんだと思ったら解散ということに歯がゆい思いをしていました。今回2泊3日にした成果は、大いに上がったと感じています。ここ土樽の特徴の一つ、少人数のスキースクールに入れる、を利用して、これまで滑れなかった多くの子供たちが、最後の日にはDSや両親とゲレンデを我が物顔に滑っていたのが印象的でした。
嬉しかったのは、これまで土樽スキーキャンプにほとんど参加のなかったDSの人たちが参加してくれたこと。特に由季さん、唯さん、陽子さんなど日頃からデイキャンプに積極的に関わってくれている女性軍が、スキーでも夜の部でも頑張ってくれました(せっかくこのキャンプのためにいろいろ新調しながら、風邪で参加できなかったFさん、残念でした。次回のキャンプには是非参加してください)。また、良太君や文雄君たちが、子供たちにスキーを教えたり、夜は一緒に遊んだりと、大奮闘。暢樹君、夜の宴会の最後の片づけご苦労様でした。朋江さん、子供たちをかばっての打撲、その後いかがですか? DSの皆さんには、「リーバイ・ストラウス・コミュニティ活動推進基金」の助成で多少報いることができました。
その他、嬉しかったことは、不登校でしかもスキー経験が全くなかったY君が、たった一人で電車に乗って、やってきてくれたことはじめ、数限りありません。
個人的には、一緒の電車で帰ったKくん、私が途中の停車駅で時間があったのでたばこを吸いに降りたら、取り残されるのではないかととても心配してくれたようです。私が再び電車に乗ったのを見たKくんの天使のような笑顔、これが私にとって今回のキャンプの最大の喜びでした。ちなみに、このKくん、このキャンプの常連ですが、昨年まではご両親がつききりでしたが、今回特に最終日はご両親がおいて行かれるほどの勢いで一人で滑っていました。これにも感激!
こうした行事の幹事はそれなりの苦労があることは確かです。しかし、参加されたご家族、お子さまが僅かな間に成長される姿がストレートに見られるというのが、何ものにも代えられないほどの嬉しさであることが実感できます。
どうです?来年はあなたも、発達共助連の何かの行事の幹事をやってみませんか?
なお、このスキーキャンプの様子は、ホームページの写真集でご覧いただけます。
(スキーキャンプ幹事・記)
家族そろっての猛練習。
さすがは女の子、カメラを向けたらしっかりポーズ
がんばり屋のK君、ついにゲレンデを征服。見守るお父さんも嬉しそう。
それぞれのスタイルで、楽しそうに滑る皆さん
DS連代表の由季さん、黙々としとやかに?滑っていました
そり遊びを楽しむカウンセラー、夕刻の谷川連峰が綺麗です
土樽山荘での夕食風景 宴会の場に来て、DSとの記念撮影をねだった子供たち
共助連の夜は、いつも懇親会、カウンセラー、DS、親たちが心ゆくまで語り、かつ飲む 夕食後、DSとトランプゲームを楽しむ子供たち
発達共助連1998年度のスキーキャンプは、1999年1月23日(土)〜24日(日)の1泊二日で、新潟県湯沢町の土樽スキー場で開催されました。参加者は42名でした。

土樽スキー場は、谷川連邦に抱かれ、上越線の清水トンネルの新潟県側入り口にあり、清水トンネル建設当時から開かれた由緒あるスキー場ですが、ゲレンデが小さいため、訪れるスキーヤーは多くありません。それだけに、たとえ子供たちと離れて勝手に滑っていても、子供たちの居場所を常に確認できる、という大きな利点があります。加えて、このスキー場に一軒しかないロッジ「土樽山荘」のご協力もあり、発達共助連のスキーキャンプは毎年この土樽スキー場で開催されています。近隣の越後中里スキー場や岩原スキー場に雪がないときでも、このスキー場は滑走可能なことも安心材料の一つとなっています。

<スキーキャンプに参加して>

感動と言えば、我が家の横綱No2、次男の晃平は、共助連冬のスキーキャンプ土樽(発達共助連冬のスキーキャンプ場)に通って早6年、とうとうひとりで滑り降りることが出来るようになりました。とは言ってもボーゲンでようやく滑るといった具合ですが、我が家にとっては大スクープです。
ホームページなどで自閉症児のスキーの教え方など読んでますと、なかなか大変だと感じていました。少々諦めかけていたときでした。それでも年々大きくなる晃平を抱えて滑る主人は今年こそはひとりで滑ってくれたらと願ってました。
始めの年は雪を楽しめればOK!でした。次の年はスキーブーツを履くことが課題でした。ですから、私もスキーを楽しむことなど考えてもいませんでした。それでも土樽へは毎年行くことにしてました。
共助連以外でも土樽へは足を運んでいました。というのも湯沢にはおいしいお酒と格安のカニとうどんすきがあったためです。そんなこんなでそれなりの楽しみを会社でも話していたところスキー好きというか酒好きの社員も参加したいということで社員5,6名とその家族を引き連れて行くことになりました。同じ年頃の子供ばかりいましたので、ライバル意識もあってか、そのころ小学校3年の長男の祐平はあっという間に子供達だけでスイスイ滑り降りてくることが出来るようになりました。
それまでは、足が痛いとか疲れたなどと休んでばかりだったのですが、後から来た女の子に先を越されてしまい、俄然やる気になったのだと思いました。
そのうち弟の晃平もみんなと一緒にリフトに乗りたくて、「リフトに乗る」と言い出したのです。晃平にも何かかきたてるものがあったのでしょう。仕方なく主人は晃平を抱えて滑り降りてくることになりました。
主人をはじめ会社の方も体を壊しながら、重い晃平につきあってくれました。まずは、何度も何度も一緒に滑っていたので体重移動を「右!左!」と声をかけながら、体で教えていきました。
次にハの字にすることを教えました。言葉で伝えても体が思うように動いてくれないので体重移動と同じように繰り返し繰り返し3年。そして今年、なんとか一人で滑ってくれないものかとリフトを降りたところから晃平に「ひとりで滑ろうね!」といって、途中まで先に降りてしまいました。
そしたら、大きな声で「ひとりで滑らない!」と叫びながら、ちゃんと左カーブしながら降りてきました。「すごいすごい、滑った滑った!」まわりで見ていた人たちからの喜びの声、まるで長い間ほどけなかった“知恵の輪”の鍵がほどけたかのようでした。 それから晃平は自信をつけてしまい、今では母よりも早いスピードでしっかり人を避けながら降りてくるまでになりました。
主人の会社では大騒ぎで、それぞれに「自分が教えた」としばらく皆んなで喜び盛り上がっていたそうです。
こんな時代だからこそ、そんなことでも笑い合えるひとときがあるとホッとしますね。
(渡部清美・記)