上海・浦東新区の開発、ケ小平氏の号令から10

朝日新聞 2000421日 13版

 上海の未来を切り開く、を合い言葉に、上海・浦東新区の開発が始まって十年になる。一九八九年に起きた天安門事件後の経済的な閉そく状況を打破しよう、と故郷小平氏が号令し、未開発の地に大量の資金が投入された。新国際空港もでた。来年はアジア太平洋経済協力会議(APEC)の非公式首脳会議の会場にもなる。「香港に並ぶ国際金融センターに」と中国政府が期待する浦東は今、十周年記念行事でわいている。

(上海・古谷浩一、北京・鈴木暁彦)

 「この十年で発展の基盤はだいたい整った。浦東開発をさらに進め上海、長江(揚子江)流域、中国経済全体も押し上げよう」。二十日、上海で開かれたシンポジウムで徐匡迪・上海市長は強調した。

 十年前の四月十八日、故鄭小平氏の命を受けて浦東開発を宣言した李鵬・全国人民代表大会常務委員長(前首相)は今月初め、再び浦東を訪ねた。上海の黄菊・共産党書記、徐市長らを従えて、自らの肝いりで稼働したNECの合弁半導体工場などを見て回り、「発展するには、さらに多くの一流企業を世界から誘致しなけれはならない」と語った。

 戦前の上海で生まれ、新中国成立で、香港に拠点を移した香港上海鈍行(HSBC)は昨年末、森ビルが浦東に建てた森茂ビルの一部を買い取り、「ここを中国での業務の拠点にする」と発表した。上海が「東洋のウォール街」と呼はれた三〇年代の繁栄を復活させたい、という当局の思惑とも一致する。浦東新区管理委員会の幹部は「浦東新区の域内総生産(GDP)は九〇年の六十億元から昨年は八百億元まで増え、年平均二〇%の成長を達成した」と胸を張る。上海全体のGDPに浦東が占める割合も八%から二〇%になった。

 海外から浦東新区への投資は累計で約六千件、約三百億jにのぼる。輸出額は昨年六十七億jになり、上海全体の三六%を占める。金融機関は中国人民銀行(中央銀行)の上海支店が九五年に浦東に移った後、国内外の七十六行が拠点を開いた。

 明るい話ばかりではない。不動産ブームに乗って乱立した高層ビルには空き室が目立つ。浦東の顔だったヤオハンの大型アパートが、日本の親会社の経営不振で中国側に安値で買いたたかれ、買収されたのも記憶に新しい。

 十年たって、深洲経済持区に代表される広東省と上海の役割分担がはっきりしてきた。香港に隣接する広東省は、繊維製品や電子機器、おもちゃ、くつなどを輸出する加工貿易の基地。立地を生かし、中国全体の輸出の約四剖を担う。深洲より約十年遅れて開発が始まった上海は、国内物流の拠点となり、中国国内市場での販売拡大を狙う日本の家電や台湾の電子機器メーカーが上海周辺に集中する。

 「広東省は閉めていた門を開けるだけで、アジアの金融センターである香港の資本が流れ込んできたが、上海には香港に当たる場所はなく、自ら香港の機能あもっ必要があった。それで外銀線などを積極的に誘致してきた」とアジア経済研究所の丸尾豊二郎氏は違いを指摘する。さらに「上海には中央政府の関与が目立つ。それが、先に発展した広東省との違いだ。中央の言うことを聞かなくなった広東省の教訓をくみ取っている」という。